Iramkarap-te イランカラプテ アイヌ語
JR北海道エアポートの車内放送で「イランカラプテ」の車掌の挨拶から始まることをご記憶だろうか?白老町に国立民族共生空間を建設していたとき、私も毎日札幌へ通勤していたので「皆さんこんにちわ」の意味だろうなとは思っていた。図書館に「金田一京助全集」(全14巻)があって、14巻目にアイヌの言語学者知里真志保の妹の詩人知里幸恵さんの思い出文を見つけたので借りてきた。14巻に「イランカラプテ」(176p)について書かれてあった。金田一さんが樺太の旅を終えて帰る晩に、同行してくれた樺太庁の土人係(こういう名称があった)Y氏から「お別れに一つ、たった一言教えてもらいたい」と言われた。それは金田一さんがその一言を口にされると、アイヌが不思議ににっこりする、その一言を教えて欲しいというのだった。樺太庁の役人に言わせれば「ただでさえ無表情なあのアイヌが、ことに女などになったら無愛想で、我々が道を聞いても、ものなどたずねても、にっこりはおろか、そっぽを向いて返事をしようともしないのに、何かあなたが一言言われると、爺でも婆でも、男でも女でも、きっとにっこりする。あの言葉です。何というコトバなのでしょう。」金田一さんもはじめはそんな魔法の呪符みたいな言葉をすぐには思い出さなかった。たまたま、磯で寄木を拾ってるメノコ(アイヌの女性)の姿へ遠くから声をかけなすった。彼女は口を開いてにっこりしましたよね。「なあに、イランカラプテ(今日は!)と呼びかけたわけですよ。それなら何でもない。おはよう!今日は!などという挨拶のことばですよ」アイヌと親しくしている人なら、だれもが知っている挨拶のことば。アイヌ同士の間ではイランカラプテとは言わずに、お互い見かわしてすれ違うので不愛想に見える。しばらくぶりの再会なら「イランカラプテ」と言い合い「なつかしや」と涙を流すこともあると金田一さん。金田一さんは、アイヌとみれば「イランカラプテ」を連呼して笑顔になる彼らに親しみを覚えたんだ。アイヌ部落を訪ねて、イランカラプテ一本道の30年であったと回想していた。イランカラプテを言うと「アイヌ語のわかる和人」と思われることも嬉しいことだった。
せっかくなので、金田一京助さんの手になる「知里幸恵さんのこと」(60p)には、彼女の短い生涯が書かれてあった。心臓に持病があって病弱であったが旭川の女学校へ4キロの道を登校。抜群の成績で卒業、和人のお嬢さんの中でただただ一人のアイヌの乙女の誇りを立派に持ち続けた。彼女のお墓は。雑司ヶ谷の奧、一むらの椎の木立の下に,大正十一年九月十九日,行年二十歳、知里幸恵乃墓と刻んだ一基の墓石が立っている。可哀想な人には人種を超えて涙を流し続けるクリスチャンであった。