ツァイガルニク効果という言葉を知りました。心理学の用語のようですが、
「人は中途半端で終わったことをよく覚えている」というものです。
特に期待値の大きかったものほど忘れないのだとか。
例えばウェイターは出してしまった注文はその場で忘れて、
まだ出してない注文のことは忘れない。文字探しゲームで実験すると、
できなかった問題のほうをよく覚えている、などがこの効果の例です。
仕事面では大切な心構えですが、あまりとらわれてしまうとまずいような気がします。
特に高齢者は、長い人生でうまく行ったことの何倍も、失敗や途中で断念した経験を持ってます。
意中の人と結ばれなかった、仕事が思い通りにいかなかった、
若い頃の夢は達成できそうもないとか、言い出したらきりがありませんが、
他方でそれらを手に入れた人もいるのですから、
自分の人生はなんだったんだなどと考えてしまうかもしれません。
ところが、こういう人に話をよく聞くと、かつて大きな事業に参画していたり、
人助けをしたりと、十分価値のあることをしているのですが
「そんなこともあったねえ。でも、あれはみんなの協力でできたことだから」
などと、あっさりしています。大事なことでも、成し遂げてしまったことは、あまり重視していない傾向はあるようです。
だから高齢者は何か不満を感じても、それはツァイガルニク効果に過ぎないと割り切って、
昔の自慢話をしているほうがずっと健康的です。年寄りの昔話も、若い人全てに嫌われるわけではなく、
参考になっていることも少なくありません。
年寄りは大いに語り、若い人が自由に聞いたり無視すればいいだけではないかと思います。

最近よく「なぜ自分はこんなことを知ってるんだろう、できるんだろう?」と思うことがあります。歳からくる物忘れもあるでしょうが、よく考えると、これまで途中で挫折したことや3日坊主だったことでも、少しは知識や技術として残っていたからなのだと気が付きました。難しい本にチャレンジして断念したとか、腕立て伏せを続けようとしたがなんとなくやめたとか、そういうレベルの話です。
そう思うと、「自分はこれを成し遂げた」と言えることなどほとんどなく、自分自身が、失敗とも言えないような小さな出来事の集合体だったのだと思えてきます。いわばガラクタの寄せ集めですね。
ところが「とっかかり」とか「初歩」というのは、得てして「基本」であることがあります。運動でいえば「受け身」や「素振り」の仕方などがそうですね。それが何十年も醸成されると、練習し続けたわけでなくともそこそこの知識に育っていたわけです。
飽きやすい性格なので、始めめてはやめることばかりの人生です。スポーツもたくさんクラブに入りました、バレーボール、サッカー、ピンポンなどやりました。社会人になってもサーカークラブに入りました。ボールをいじることが好きなのでしょうか?OLDBADBOYさんのおかげで始まったブログでもありました。11年続いています。鮮度は下がってますが。
達成できたことより、多分未完成の事の方が多いのでしょうね。そして何時までも記憶の片隅に残っていて時おり思い起こされるのでしょうね。それも素敵な想い出ばかりなら未だしも、悲しい出来事も多いかも知れませんね。また、何時かは成し遂げたいと願い続けている事も有るかも知れませんね。また若気の至りで勢いよく始めたが挫折した事が、今になって思えばかえって良かった事も有るでしょうね。考えようによっては高齢になった今、想い出として未完成の夢が多ければ多いほど良いかも知れませんね。
根ながら、なんのために毎日生きているんだろうか?とか考えます。仕事においては満足してますが、私がいることで悲しんだり、被害を被った人もいるのではないかと考えます。その逆に、私がいることで助かったなあと思う人が多ければいいのですが、こればっかりはわかりません。