帯広に行ってきた。

9月27日から29日まで大分から娘婿が来宅、ふたりで帯広ばんえい競馬へ。。JRで行くつもりが石勝線が大雨で運休、南千歳からポテトライナーに乗り換え3時間。JRなら2時間。曇天のなか、トマムタワーが見えてきた。帯広駅前は観光客を除くと市民が少ない。コンビニは帯広駅構内にセブンイレブンだけ、駅前にパチンコ太陽経営のビルに映画館がある程度。ホテルだらけの駅周辺だ。着いた日は帯広百年記念館で十勝の歴史を見る。

マンモスのジオラマが迎えてくれる。マンモスは北から南下している。道内で最後と思われる浦幌町から出土のアンモナイトも展示されていた。以前、書いた三笠のアンモナイトよりずいぶん小ぶりだ。

十勝の開拓といえば、静岡からやってきた依田勉三を中心につくられた晩成社だ。リーダーはほかに渡辺勝、鈴木銃太郎。明治16年、移民団13戸27名。故郷静岡から十勝までの旅路は1カ月かかった。船で函館に入り、そこから海を行くもの、陸で行くグループと別れて、帯広に入る。足腰の強い人たちだ。六花亭の大人気商品マルセイバターの「セイ」は晩成社の「成」からとった。政府から1万ヘクタールの土地を無償で払下げしてもらい15年間で開墾予定が、バッタの襲来、野火や冷害で思うように進まず。晩成社の3人の幹部も事業方針を巡って気持ちがばらばらになり、事業や開拓の方向も分裂していった。依田勉三は大樹町で牧畜へ、渡辺勝は現芽室町、鈴木は現音更町へ。もちろん開墾の働き手としてもともと住んでいたアイヌの人たちが助けたことも忘れてはならない。しかし、先進的な事業は、消費者の不在と交通網の不備で赤字に苦しんだ。晩成社は移住から50年の1932年解散した。晩成社は、豆、小麦、ビート、トウモロコシ、バレイショ、牛肉や乳製品、木材工業の事業にも着手した。十勝の農業・牧畜・林業の基礎の基礎をつくってくれた。

為事人間在黒頭(事を人間に為すは黒頭にあり)  これぞと思う事業を興すのは若いうちだ(依田勉三) 明治16年 十勝に旅立つ前に送別会で漢詩を詠む。

いよいよばんえい競馬に向かう。ばんえい競馬は2つの坂を上りゴールする農耕馬として働いていた道産子のレース。2023年の売上は559億円、入場者は33万人を超えました。全体の9割がインターネット販売。楽天が運営している。私は前半6レースに挑戦した。2000円を投資して回収はゼロ。3連複で競馬新聞を参考に馬券を買うがダメ。娘婿も当たり券出ず。「ばんえいは当てるの難しい」と競馬ファンの彼が言う。せいぜい10頭立てだから当てられるようだが当たらない。勝つと思った馬が突然、立ち止まって動かなくなる。2つ目の坂を最初に降りても後続馬に抜かれる。ゴールしてみないとわからない、世界に一つしかない謎の競馬だ。だから面白い。サラリーマン社会に似ているかも。

帯広駅の待合室にあった帯広畜産大学の大学祭のポスター。駅前で見つけた娘婿絶賛のギョウザ店。ラーメンには懐かし麩(ふ)がのせてある。二人ともお腹がすいていて撮影忘れ。帯広中華ギョウザ笑福で検索すると出てくるかも。