
地元では名の通った広告代理店で「営業を募集」したら応募がゼロであった。幸い、新卒でひとり採用できて良かったと胸をなでおろしていたが、私が27年在籍した会社も営業職での募集に67名が応募してきて、ホテルの宴会場に長椅子を並べてペーパー試験、次は「私のPR」というテーマの作文であった。最終面接に4人が残り、運良く私ひとり採用された。それも人事採用者が大学退学者であった偶然も重なっていたかもしれない。私との境遇の共鳴があったのではといまでは思うのである。
だから「営業職」というのは、確かに大変で毎月(毎日)外回りをして数字を出して、目標の数字を狙い達成してゆく作業であるが、私が在籍した会社はノルマが緩くて、達成しなくても「仕方ないね、来月頑張ってね」で大方終わった。もっと厳しい数字の世界で筆者は働いていたことがあるので、「えっ、こんな仕事でいいの?」とどこか心の中で、当企業以外を知らない生え抜き連中を小馬鹿にしていたところがある。どの業界もそうであるが、新規開拓は至難である。一度、開拓しても継続性がなくてすぐに別な同業者に横取りされる繰り返しであるから、こちらも別な業者のスポンサーを横取りに行くという、いまで言うひかり通信の電話営業に構造的に似ている。
しかし、みなさん勘違いしているのは、数字は一人で作るものではなくて、メディアや会社の同僚、デザイナーやコピーラーターとの共同作業でやらないといいものができないということで、がっかり感を共有し、成功体験も共有してきたということだ。喜びの宴は「うなぎ屋」でランチする豪華版。現在と違い、個人が分断化される前の企業風土なら、「営業職もこんなに不人気な業種にはならなかっただろうと思う」。いったいいつからこんなになったのか?私のみるところ、証券や銀行の営業職のコゲ付きから担当営業の責任(しかし、それは企業の責任なのだ)とされて、転職や退職に追い込まれて、そのニュースや雑誌記事が充満した時代が長かったからではないだろうか。営業のきつい会社は大体、社長も営業上りが多い。
もちろん、営業はいったん外に出ると自由でパチンコをしたり喫茶店で将棋を打ってる強者もいたが、中には自宅のアパートで前日の酔いを取るため寝ているものもいたが、総じて真面目であった。真面目でないと相手は付き合ってくれない人が多かった。まさか「遊ぼうよ」とお客さんのところへ行き、ゴルフやススキノで飲め屋歌えで仕事を取る人もいたらしいが伝説である。昼休み、コンビニの駐車場でオニギリを食べ100円コーヒーを飲んでいる営業マンを何人も見る。昔の自分を見る気がするが、後ろを歩く若い世代のお手本になるよう、個人より共同作業の営業を示してほしいと切に願う。それが営業再生・少しでも応募者を増やす近道だと思うからだ。
