筆者が50代半ばに付き合った20代後半の営業マンが『バブルのいい時代を私は知らないが、知らないほうがいいのかもしれません。耐える力がついてきますから』と語った。新聞社やテレビ局員でたくさんの人がバブルの恩恵を受けていたらしいが、その横にいた私は株もやらないし、土地も金や投資しないし、車もオンボロ中古に乗って、思い返せばバブルの恩恵ってあったのかなと正直思うのである。
同世代でゴルフ好きは会員権を買ったり、NTT株はじめ大儲けして海外旅行に行ったりしていたが、私は飛行機には乗れないし、ゴルフもしないし、酒も飲まない。汗水垂らさないで儲けるという発想がどうも嫌らしい生き方だという嫌悪感が先だって、そもそも投資のお金がないということもあって、縁のない人生であった。不思議に思うかもしれないが、私の周りにはバブルと無縁で日々を送ってきた人のほうが多い。人間は複雑に考えるのを嫌っているようで、私の世代を『ビートルズ世代』と命名もされているが、中学時代50人のクラスでビートルズを聞いていたのは4~5人で他は日本グループサウンズや舟木一夫・西郷輝彦・橋幸夫などに音楽時間を費やしていた。
時代のネーミングは相当気をつけないと間違った認識をする。時代の特徴を決め付けると、そこには思考停止が待っている。ある時期に『新人類』という言葉も流行った。いったいあれは今はどうなったの?である。私が「バブルを知らない30代」に共感するのは、別に恩恵もない日々を過ごした私の個人的な事情があるのかもしれないと思う。営業として、1ヶ月に企画を3本、同時並行で仕上げるのは並大抵ではできない。頭を下げる毎日であった。若い人から「苦しい、助けてくれ」と言われたら、予算をそっちに回したりして助けてあげたものである。
しかし、「バブルを知らない30代」を見てみるとやはり二極化していて、「もう他人のことはどうでもよい。親しい何人かの知人とお喋りと飲み会ができればいい」と割り切り、気持ちはあっても勝手に自分で生き方の原則を、妄想を先入観を作り上げてしまって、応用の利かない生き方を残念ながら選択してしまった人も多い。その中で頑張る30代もいて、困った人がいたら助けながら前に進む人もいる。知らぬうちに、そういう人が社会の前面に出ていて、彼や彼女の真似をして生きていくと、ずいぶん社会は住みやすくなると思うのだ。それと使い道に困るほどお金を持ってる人は、ここらでバサラ精神を発揮して、後世に残る文化物を作ってほしいものである。
