観念が人を殺す。観念が人を活かす、活発化させる。
昔も今も、人間社会は『観念が人を殺す』時代が続いていると思うわけです。怖い話、あなたが持っているスマホも、誰かに罵詈雑言を撃てば、運悪くその言葉が、弱気のÅさんの胸に当たり悶死する可能性もゼロではない。スマホを使わなくても直接の一言が、橋の欄干からの飛び込みを誘発するかもしれません。これは、人同士だけではなくて、国レベルでも『あの首相は頭がおかしい、斬首しないと先にミサイルを発射される』と明確に相手に伝われば、『どうせ、首を切られるなら、その前にミサイルボタンを押して、やけのヤンパチ、全員道連れだ』と判断する可能性もゼロではありません。『相手の頭がおかしいと思いながら付き合うと本当に頭がおかしい行動に相手は出る』ものです。
経験的に読者はこの現象を身近に体験しているはずです。おかしさが倍増するというか危険度が倍増します。ここに孤立が加わると思い込み100%、全開状態に入ります。これを逆用すれば『お前はホント、頭がいい。どうしてそんなに頭がいいの?』と周りから言われ続ければ、頭が良くなるし、そのために勉強を人一倍しないと頭の良さを守れないから勉強もし、ますます頭が良くなるのに似ています。中には、『天使になろうとして豚になる』人もいますが、跳躍のし過ぎとしか言いようがありません。しかし、『少し背伸びをしよう』という意思がないと成長しないのも確かで、筆者もその辺の加減がよくわかりません。
初めからスポーツをしてもダメなのはダメで、少年チームがたくさんありますが、コーチの稼ぎには野球に不向きなユニホームだけ着る少年がいないと収支が合いません。この分野であなたが努力してもダメなものはダメと言う勇気がなかなか思っても言えない社会環境、教育環境が支配し続けている現実です。クラシックバレーの世界も同じようなもので、健康のために背筋をピンと伸ばすために10年も20年も大枚をはたいているお母さんが大勢います。ありのままの姿を直視する勇気は持ちにくくて、建前をたくさん覚えて、吹き込まれて、人類の歴史は西暦(これもおかしな年号でキリスト教を基準に作られた人工的な数字に過ぎません)でかぞえてますが、実は現実はいつだっていいわけです。ボケると今日の日時曜日を忘れます。西暦は虚構、紙幣も虚構、宗教も虚構、国の制度も、国境線も虚構、歴史もわずかのエリートたちと文字を書ける書記官の作り話、新興宗教の開祖や独裁国家の首長は神話を必要とします。
そして虚構で人はたくさん死にます。虚構は殺人器械と言えます。聖地も含めて。巡礼の地を定める宗教は全部そうです。奇跡が仮に起きても、他人がそんな所に行く必要も実はないわけで、そのままにしておけばいいわけです。『何だ,何だ!』と言って、集団で行くようになるとそこに熱狂が生じます。お伊勢参りもそうでした。土地に聖も俗もないわけで、粘土状の土か泥炭な土なの違いだけです。生物学と地質学から歴史を見ると新鮮なものの見方ができます。
たとえば万里の長城は『北の遊牧民族が侵入してくるから防備のために作った』という漢民族の話ですが、そうではなくて『遊牧は土地を所有しない。国境線はないに等しい。それを農耕で土地所有の中国が放牧地に侵入してきて占拠する。仕方なく彼らを追い払うために、漢民族を追い出した』というのが真相かもしれません。中華思想に彩られた中国らしい発想です。農耕社会は区切りをして、働かない役人など搾取する階層を作りました。受験の勉強の中で会得した知識は、いったん括弧に入れて、基本から学び直す時期に現代はきているかもしれません。
