息苦しい社会(世界)は続くのか?

私の糖尿病の主治医はひとりでシカゴの糖尿病学会へ行ってくる70代の医師で、毎週『ニューズ・ウィーク』を定期購読している。筆者は雑誌を捨てるのはもったいなから、月に4冊まとめてもらってくる。その中にISISの生々しい記事も多いし、死体の写真もたくさんある。戦争の現実である。イラク側の政府軍の捕虜収容所の写真ではISISの兵士で満杯の後ろ姿がある。しかし、捕虜収容所にときどき赤ん坊が置いてかれるという記事があった。ISISの兵士に強姦され、子供を宿してしまった女性が泣きながら捨てていく話が書かれてあった。さらに、一般市民でもISISに協力した市民が密告されて、政府軍に虐殺されて川に浮いている話もある。『自分が生き残るために誰かを犠牲にして生き延びる』極限に生きる人間の性(さが)で誰を責めて誰を許すという世界ではないような気もする。自分が100%安全地帯に立って物を言うのなら誰にでもできる。

SNSにも似た作用があって、自分を匿名化して、自身に言葉の毒入り鉄砲玉が飛んでこない場所から、噂を売る、噂で稼ぐ、他人を非難する。フェイクを100回言えば真実になるかもしれない世の中だ。『ふわっふわっとした』世間は、簡単にある方向へ流されていく。BBCニュースを読んでいたら同じような悩みがあって、子供たちが1日にSNSを平均2時間使用するのだが、そのメリットとデメリットについて議論をしていた。そういう意味では世界はフラットになってると思う。札幌を観光する中国や韓国の人たちが『スターバック』で朝からコーヒーを飲み、歩きながらスマホで位置を確認しながら歩いている。日本人の誰かに聞いている人もいるが、世界じゅうの観光客は位置情報をあらかじめ入力しておけば、連れていってくれるわけだ。私みたいなお節介焼きが出る場面が少なくなった。『そこへはここをまっすぐ100m、そこを右に曲がって・・』という喋る機会が減った。

SNSの時代は判断をスマホに預ける(頼る)。そういう意味では判断ミスも含めて大脳を使う部位が怠ける気がする。毎日が『FOOL』の時代で、馬鹿になれなければ人間じゃないぞといわんばかりのお笑い時代である。そういう息抜きは江戸にも落語や川柳、狂言、落とし文としてあった。ユーモアや皮肉、権威への嘲笑、権力批判の要素は多少ともあった。しかし、現在、筆者が嫌なのは『小ばか』『嫌味』『叩き』『弱い者いじめ』『内輪話』『心身ともストリップ』『自虐ネタ』に傾きすぎて、上品さが消え失せている状況なので、これは見る側と演じる側がお互いに育て合わないといけないことである。