少し、きつい題名にはなったが、ブレードランナーの原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の最初に主人公デッカードの妻イーランが発する『あらゆる場所での生命の不在を感じとりながら・・』というセリフ。第三次世界大戦で使用された核兵器で地上は放射能汚染に覆われ毎日のように放射能を含んだ落下物で生きるものを殺していく。生き残った人びとは火星に移住するか、危険を冒して地上にとどまるかを選択しなければならない。植民地火星へ移住する人には必ず一人のアンドロイドが支給される。小間使いである。さらに植民地を開拓する労働ロボットとして酷使されるアンドロイドもいる。地球を離れて暮らす人が多くなり、高層の集合住宅もがら空きになる中で暮らすデッカード夫婦(映画第1作はデッカードは独身の設定)。筆者は、現代のガラスだらけのビル街やスマホに熱中する、下を向いて指運動と眼球運動を繰り返す人たちに実は『生命の不在』を感じるのだ。私自身の感性がおかしいといわれればそれまでだが。未来もこういう風景を見続けなければいけないのだろうか?なんだかスマホ利用者が原始人類に舞い戻ってるような気もするのだ。『ブレードランナー』では人口密度が低い中で感じる『生命の不在』が現代、電車の中、喫茶店の中、人口密度がこんなに高いあらゆる場所で感じてしまう生命の不在。死体に触ると氷のような冷たい感覚が残る、ちょうどあの冷たさをそれぞれの人に感じてしまうのである。『自分の顔を自分では見れない』のだとしたら、『あなたは死んでいますよ』と私は言いたいくらいである。せめて他人のいるところでは違うことをして欲しい気もするのだ。そう考えていたら、図書館で定期購読の10月30日『アエラ』が(人と会わないほうがうまくいく)大特集をしていた。こんな特集だ。・現場百遍は遠い過去・営業トークはLINEで好成績・会わないほうが距離が縮む・婚活は会わないほうがうまくいく・医療面でもあわないほうがEDや薄毛の治療に向かえる。関心あればバックナンバー探してお読みください。しかし、こういう記事に筆者は反発を持つものの、自分のブログ(人と会わないほうがうまくいく)を2年以上地でいってることを考えると複雑である。自分の部屋で静かに本を読んでるほうが落ち着くが、それだけでは食べていけないので仕方なく働いてきて、しかも人と会う営業職を35年してきたが、相当無理のある人生であったと思う次第だ。49歳で急性心筋梗塞で救急車で運ばれて幸いであった。半分死にかけたから、自然を見ているだけで気持ちが穏やかになる。生きてる間、喜ばれる人間になろうと考える。
