子どもに期待し過ぎることは『虐待』である(町沢静夫)

子どもに期待する親がほとんどであるのに敢えて『子どもに期待し過ぎること』は子どもへの『虐待』に通じると、たくさんの親子をクリニックで診察(会話)するなかで得た精神科医の結論であった。期待が結果として時間の経過と共に、虐待された子どもからの仕返しが待っていていつか発現するかもしれない。

親から全然期待されないと私みたく好き放題のノーテンキおじさんで甘えっ子に育ってしまうから、多少は自分にも親からの関心は欲しいところではあったが、外で遊ぶことに多忙であったから、食べて寝るだけの自宅であった。不思議なことに兄と妹の3人兄弟とも、親からガミガミ言われたことのない家庭であったから、どこの家庭も静かだと思っていた。しかし、家庭は外から見ると夜は灯りがついて、幸せそうに見えるが、中から覗くと多種多様。

『食事どきはお喋りは一切ご法度』で育てられた女性が近所にいて、自分の家庭でもその方針を貫いている。子どもたちも静かに食事をしている。その子どもたちが家庭を持った。子どももいる。果たしてその方針が守られているかどうか検証はしていないが、こういう習慣の連鎖は、狭いが家庭の文化を作る。3人兄弟でケーキや肉の取り合いをして騒がしい筆者の子供のころの夕食風景も当時は多かった。4人・5人兄弟の家も多くて『これ、これ、行儀良くして食べなさい』と言われても美味しいものをたくさん食べないと食べらてしまう。譲る美徳を守っていると自分の取り分がなくなる。妻いわく『育ちが悪いわね』。

育ちは悪いが親からの干渉がなかった分、気楽な子ども時代であった。50人の中学のクラスで大学へ行ったのは10人もいない。中学で働いたのは4人、あとは高校を出て働いていたから、親が勉強・勉強、偏差値云々は日常なかったのである。高校を出ても、正社員の道は広くあって、女性は4年生大学を出ると職がない時代でもある。銀行員も短大で十分、そのかわり25歳くらいで辞めてくださいねといわれたらしい。

東京や大阪から転勤してきた人と話をしていて、必ず、子どもの教育・私立学校の話をする。どこそこの女子中学は東大に何人入ったとか詳しい詳しい。外務省の役人の子どもの噂や上場企業の何何さんの子どもとか、聞いていて具合が悪くなる私である。夫婦して過剰なまでの教育への熱の入れ方。子どもにとってというよりも「親(多くは母親)の見栄」に振り回されて生きている子どもに見えるのは私だけだろうか?「子どもに期待し過ぎることは虐待である」という言葉をかみ締めたい。