撮影するのは勝手だが、焼き場から出てきた骨を熱いうちに脚立を持ってきて、骨を撮影し始めた福岡の親戚がいる。遺族はびっくりしたが、『彼はカメラ好きだからしょうがない』と誰も咎めなかった。彼自身、製薬メーカーに勤めていて59歳で奥さんを亡くして趣味はカメラ。夜明けの富士山を撮影したリ、腕前は相当なもので、退職後も健脚でもあって登山を繰り返して、素人には取れないアングルでセミプロ級の腕だ。しかし、亡き妻の親戚とはいえ、焼けたばかりの骨を遺族の骨拾い風景を遺族の承認もなく撮影できるのかなあ?亡くなったばかりの人にお化粧を施して写した写真は見たことはある。この人はひょっとして亡き妻も撮影したかもしれないと私は思った。それほど愛していたのだろう。彼からの年賀状に私は写真が好きだと書いたら12枚の撮影した写真(CD)を郵送してきた。そのうちの3枚が上記の写真。メモには焦点距離やシャッタースピード、使用レンズも記入されていた(もちろんメーカー名も)。筆者などは面倒くさい世界だなと思う。写真のみで十分、点検が必要なのだろうか?しかし、骸骨を主題にした静物画はヨーロッパには多くて、教会の周りは骸骨で覆われているような気もするからそれを撮影する行為はあながち不道徳ともいえず、ペストでヨーロッパの都市は死骸で満ちていていた。そのままのリアリズムでいけば、ありのままの姿であることは確かである。ある時期からテレビや新聞から死体が消えた。死体があっての死なのであるのに隠そうとしている。ガンジス川の焼き場はどうだ、あそこにも遺体はある。鳥葬もあってドキュメントで見たことがある。太平洋戦争の記録も見たが、つらくて目をそむけた。石井細菌部隊で犠牲になった中国人、ポルポト政権下虐殺された人々の頭骸骨の山々も写真で見たし、アウシュビッツもスターリンによって虐殺された人も地面から掘り起こされて骨になっている映像も見た。アメリカ南北戦争の遺体の写真もたくさん見た。戦争と殺し合いのあるところ、埋められ放置された遺体はいずれ骨になり、土に還るはずだ。そういう観点からいくと皆に見守られて平和裏に高熱で燃かれただけで幸せな65歳と言わなければならない。そう思いたいが、せめて、脚立に上らず、自然の角度から撮影するのが良かったかも。私の葬儀に彼が一眼レフを持ってきて、同じように撮影されるのだけはご勘弁だ。写されたら私の骨が暴れる気もする。



