超監視時代(いつも誰かに見られている)

「ナショナル・ジオグラフィック」のバックナンバーで、「超監視時代」という特集を読んだ。サブコピーは(いつも誰かに見られている)。IRAのテロが発生してから(このテロも遠因を探れば英国側のカトリックへの様々な分野への差別から発しているのに)、英国の都市は監視カメラ大国になった。そしてカメラに寛容な市民が多いらしい。もともと独裁国家ではなかったし、悪用する政府ではないという信頼感があるみたいだ。

私も思いつくままに札幌駅まで幾つの監視カメラに見られているか数えてみた。自宅から最寄りのJR駅まではないが、駅にはエスカレータ真上、通路、駅の改札口前、ホーム、電車の中にはさすがにカメラは発見されず。札幌駅に着くと、ホームにある、改札口にもあるし、最近道警の職員が立って監視もしている。数えると7個くらいのカメラ画像に私が映っていることになる。「別に私は法を犯していないから、写されても平気」という感覚がある一方で、先日見た中国の広場に並べられた監視カメラの行列を見ると「権力はどこまでも個人を監視続ける」現代を見る気もする。さらにスマホやPCでアクセスする、発信する内容が、はっきりいって全部駄々漏れの状況にある(アメリカは愛国者法で全部読めるように法改正があった)。気味の悪い時代がきてしまった。

税関や飛行場の手荷物もX線で中身を透視する。電池を入れたままのおもちゃがトラベルケースにあると、電池だけを抜いて手荷物で持たないといけないくらいだ。さらに顔の認証技術が入ると、国境線を超えることのハードルがどんどん高くなる。何から何まで個人の履歴や顔認証のデータが政府や権力側に蓄積される。地球の周軌道に1700個の人工衛星が回っている。放送用や画像を集める衛星、GPS機能の衛星、通信の傍受など多目的であるが、アメリカが814個、中国が205個。ほかの国々が578個(日本は149個)。アメリカの民間会社プラネット社は202個を周回軌道に乗せて、地上の画像を撮影している。条件が整えば1秒間で2枚撮影、地球の全体を1日で撮影できる。北朝鮮や中国、ロシアの陸地部分を軍事衛星はたえず監視して、ロケット発射台の移動の有無を監視する。

ブログを書きながら、人間は(こういう主語はもう意味をなさないかもしれない。○○国の○○と企業家○○氏という主語に変える時代に入っている?)どこに向かって舵が取られているのか、取ろうとしているのか。一体、何を希望の原理としているのかため息をつかざる負えない。「ゲノムが語る人類全史」に8000年前には地球の人口は約500万人(同著94p)(北海道の人口とほぼ同じ)と書かれてある。たったこれだけである。先祖の遺伝子が今日まで変異を繰り返して私たちの現在につながれて70億人(2011・国連)になっている。

その人たちの顔認証が登録されたとはいえ、それがどうした?という声がメディアから聞こえてこない