雑感(日本会議ほか)

なぜ日本会議なるものが曖昧な広がりを見せ始めたのか考えてみた。そのメンバーをみると生長の家や神道系の団体、仏教系の寺社の団体で、これまで曖昧ながら自民党を支持してきた団体である。なぜ突然、自民党議員の大半がここに集結したのか考えてみると、背景に「創価学会」への危機感が感じられる。自民党の選挙はほとんど公明党にお願いして、ポスターを貼ったり、学会票がなければ安心して当選できなかった


自民党の党員は殆ど高齢化の嵐に見舞われフットワークが異常に悪い。その分、公明党の意向を無視できず、事実上公明党に乗っ取られている感じが、既成の日本の宗教関係者に多く持たれていた。表面上は、反日教組や戦前の教育勅語云々を言っているが、実は、それは非本質的なところで裏に公明党離れを起こしたい意向が自民党議員にある。学会の池田大作の話題がさっぱり出てこないのも気持ちが悪い。


マスメディアは創価学会から莫大な資金(新聞広告・テレビ・ラジオ広告、さらに新聞社は聖教新聞の印刷費の恩恵を受けている)を得て、メディア不況のなか、ありがたいスポンサーである。このことに気づいてる記者はたくさんいても書けない、報道できない。公明党や創価学会は、実は自社印刷で新聞くらい幾らでも刷れる資金があるのに敢えて、ローカル新聞社や全国紙の印刷工場へ外注することで批判を封じることに成功しているのである。


さらに学会系の雑誌へ著名な評論家や大学教授を対談や寄稿文で高めの原稿料をたぶん出していると思う。これもまた、彼らの学会批判を間接的に封じることにもつながるわけである。私はあるとき公明党の幹部が持つ手帳をもらったことがある。そこに有名人(学会系の雑誌に寄稿したことのある)の自宅住所と電話番号とFAX番号が書かれてある。何かあれば一斉にその人の自宅へ電話やFAXでの嫌がらせができるようになっている。


これだけたくさんのワイドショーやBSでのニュス番組がありながら、「創価学会」と「自民党」と「既成の日本の宗教関係」についてなぜ大々的に触れないのか?不思議としか言いようがない。最近、週刊誌や政治面で公明党の自民離れ記事があるけれど、本当は自民党が創価学会から離れたいのである。だから「日本会議」のメンバーさんよ頑張って、自分たちの選挙で力を発揮してくださいな!という強いメッセージ性のもと日本会議メンバーになっているのではないかというのが筆者の意見である。ちなみに私は菅野完さんの本は未読である。ユーチューブで発言を聞いただけである。永年、今はない「噂の真相」の読者としてそう思うのだ。


日本会議のイデオロギーはアンチマルクス主義、アンチ日教組、親統一教会、愛国あれば罪はない、自虐史観排除など自分たちで新しい何かを構築するというより、たえず受け身な観念的な美辞麗句な日本語で囲まれていて、反インテリ的な要素もあってヘイトスピーチをしたい集団に追い風になるよう作為されている。現天皇陛下は、たぶん安部政権は大嫌いであるだろう。昭和天皇の意思を踏まえるなら、戦前の亡霊を復活させるものだと。とはいえ、現在の日本会議の問題は、創価学会VS神道・仏教・統一教会にも見える。国内の宗教戦争が始まってるということである