加島祥造自由訳(3) 老子「マイナスは大きなプラスを妊(はら)む」
久しぶりに老子。調べたらら4月8日から約1か月以上引用をしていない。きょうは「マイナスは大きなプラスを妊(はら)む」という加島さんの自由訳3回目だ。(ちくま文庫 タオ 第22章)
いいかね、
マイナスにみえるものは、そのなかに
大きなプラスを妊(はら)んでいるんだよ。
突っ張って直立するものは
折れやすい。
自分を曲げて譲る人は、かえって
終わりまでやりとげる。
こづかれてあちこちするかに見える人は
自分なりの道を歩いている。
ぼろぼろになった古い着物は、
それ自体、新しくなる寸前にあるんだし、
窪んだ所は自然に
水の満ちるところになるのだ。同じように
物をほとんど持たない人は、
持つ可能性に満ちているのに、
沢山に物を持った人は、
ただ戸惑うばかりだ。
だから
タオを身につけた人は、
「この道ひとつ」だけを抱いているから
タオ的な生き方の見本になる。
そういう人は自我を押しつけないから
かえって目立つ存在になる。
自分は正しい、正しいって主張しないから
かえって人に尊敬される。
自慢しないから、かえって人に信頼されるし
威張って見下さないから、
人びとは彼をリーダーにしたがる・・・
つまるところこの人は争わないのだ。
だからどんな相手からも喧嘩をふっかけられない。
「自分を曲げて譲る人は、かえって終わりまでやりとげる」
この古い言葉(いましめ)は、
まことに本当だと思うね。
こういう生き方の人が、
自分の人生をまっとうして、
あの静かなとこへ帰るのだよ。


昔の少年
カラオケ好きの僕は男性の歌でも女性の歌でも歌謡曲でもJポップでも何でも歌う。酒だ恋だ涙だと昔は嫌っていた美空ひばりは結構気に入っている。ふと歌謡曲の歌詞を思い出した。美空ひばりの「川の流れのように」。確か秋元康の作詞だったような気がする。彼も老子からの引用か?と思えるくらいの人生歌だ。僕達の教育は他人に勝つこと、社会に出れば出世すること、競争が正しいことと・・・。でも、エリートでもなければ、血筋が特に良いわけでもない自分を振り返ればジグザグ遠回りして苦しかったすべてが自分への試練で、これこそ他人にはない自分だと思えるようになった。急がば回れと言う通り、ジグザグは案外近道なのかも知れない。坊さんでもない僕が、甥っ子が就職難で思わぬノルマのきつい教材セールスの仕事に就いて親から反対され悩んでいる時に「今やっていることは無駄じゃあない。いつかきっと役に立つときが来るから」と言ったりしたが、いろんな下積み経験のある彼は、今では親から任された会社の代表で、社員からも慕われている。また僕に影響を与えてくれたのは若いときに新宿あたりで無茶をやった義理の兄のひと言「君はまだ変る」だった。この一言で頑張れたような気がして、彼の棺の中に「変る」と色紙に書いて入れた。僕なりの彼との最後の約束だった。ジグザグ人生の人の言葉は深くて好きだ。