ノイローゼという言葉が懐かしい。2015年3月24日
ノイローゼという言葉が懐かしい(ブログ開始7本目)
うつ病という言葉がこんなに日常的に、会話に、テレビ番組に、映画にたくさん出てきておかしいと思う人はいないのだろうか?私の若いときは、両親は「あの人はノイローゼだから」という言葉を多用していて、その真意は、何事も神経質で、細かいことにこだわって仕事や勉強がはかどらないのだという程度で、どこかに寛容さや、時間が経過すればすぐに治るよという楽観があった。うつ病の定義は、アメリカ精神医学会編纂「精神障害の分類と統計の手引」第3版(DSM-Ⅲ)に依っていて、この定義づくりに製薬会社の治験やお金が投入されているのは言うまでもない。うつ病の定義が広がる、一般に周知されれればされるほど、患者が増えてると思わないだろうか?病名が流布すると患者と使用する薬や病院が増える。ある意味、病気にされるところもあるのだいうことである。
街中に乱立する心療内科の看板を見るにつけ、人気の病院は診察まで何か月待ち状態である。これといった医療設備投資も要らず、使うのはアドバイスと抗鬱剤・精神安定剤といった薬。それも1種ではなくて何種も組み合わせて、患者負担を増やさせて通い続ける。こう書く私も恥ずかしながら、以前、在職した会社で「うつ病なんて怖くない」と題した講演会をF社からの協賛金で開催した。当日は超満員で参加を断る状況であった。講師もこの道の権威ある先生であった。そのときに作成した小冊子はF社のMRが日本全国の内科を中心に置いた読本である。何回も増刷を繰り返した。余談ながら、私は当日は患者さんが、たくさん来るから、明るい雰囲気作りにと前座に、地元の落語家を呼んで、笑いをとろうと思った。しかし、これが大失敗であった。
終わった後のアンケートで「笑いをやるとは何事か!」「真剣に病気を治そうと思ってきたのにふざけてる」と最悪の評価であった。ただ、この講師自身がうつ病で苦しんだ体験を話し始めると、患者の体が前向きになり、親しげな雰囲気に変わっていった。鬱は鬱に親しみを持つ。私の発見である。最近、私は鬱って伝染性があるのではないかという思い込みである。別にウィルスがいいるわけではなくて、暗いと周りも暗くなる程度の話だ。私のところにも4月人事で「環境最悪」とか「朝から暗くて暗くて」「バカをやれる人間が、ムードメーカーがいなくて」というメールが入ってくる。製薬メーカーの高笑いが聞こえてきそうな昨今である。
追伸:2017年5月某日追記・・・・この『鬱』という漢字が嫌ですね。書いているうちに鬱々としてくる。坑欝剤の主流SSRIの副作用で様々な事件も起きている。心療内科の収入は問診とクスリ。私もパニック障害の持病があるからいつも持参はしているが、追い詰められたり、責められたりすると情けない話、弱さが露呈してしまう。時間や空間もそうで、何事もゆったりと生きたいところだが。棺桶に入る自分を想像すると、超狭いところなので息苦しさを感じるこのごろ。
自然の恵。
鬱は現代病ですね。やけに明るかったかと思えば、暗くなって、他人を敵視したり、他人のせいにする。自分中心に物事は運ばないと気に要らない。アバウトに分類すれば人間誰でも鬱の要素を持っていますね。最近では新種の鬱が流行っていますよ。国民の前ではご機嫌で内面はいいが、お互い核ミサイルのボタンを押すゾ!と外面が悪い鬱が。
seto
欝は終身雇用の時代には少なかったと思います。成果主義や間違った自己責任という言葉がひとり
歩きして、弱者が弱者を非難したり責める風潮。それが欝っぽい人を増やし、反動でテレビが芸の
ないお笑いを振りまいている。安部首相もうつ病間違いありませんという精神科医もいます。他人
の話を聴かない(聞く余裕がない)、指を指されてしまうと怒る、やじり癖。たぶん坑欝剤を処方
されている。一番は顔の表情の無さと外からの評価はどうでもよくなる、とにかく自分を大事にしろ・・・です。