「文明の生態史観」(梅棹忠夫著)には、何度も何度も「よりよい暮らし」を願うたくさんの民の話(アジアや日本を含めて)が出てくる。1950年代後半、日本も敗戦後間もなくとりあえず飢えをしのぎ切って、各種の産業を、工業を中心に、農村から働く人を都市に寄せて、集合住宅や社宅をつくり、夫婦と子供たち(2人以上がほとんど)の狭いながらも楽しい我が家であった。食べて生きられる主価値から、次は「よりよいくらし」を目指して、働いてきた。


しかし、いつからだろうか?テレビも各家庭に入り、電気洗濯機や掃除機、ステレオも入り、子供部屋も作られてプライバシーもうるさくなってきた。よりよいくらしは、まず、家電製品の買い揃えや郊外の一戸建て(マンションはまだ公団のアパートや公営のアパートが主流で賃貸がふつう)に住んでマイカーでも持てれば、それ以上何が欲しいと聞きたいくらいだ。とりあえず、ここまでできたらスゴロクで言うと「上がり」である。サラリーマンでの上がりは「部長」や「役員」になることだと言う人が何人も自分の周りにいたが、軽いうつ症状を呈して辞めていったが、ぜいたくな悩みであるが本人にとって重大事であった。


よりよいくらしが実現できたら次はしあわせの価値観パレードである。ヒットする曲やドラマの科白に多用されること夥しい金言『しあわせ』だ。いま現在、傍から筆者が見ていて「あなた、十分、幸せじゃないの?」と言いたくなるくらいの暮らしをしていながら、まだ「幸せ探しをしている」ように感じる。外に幸せを探している幸せな人である。


明治45年、石川啄木が『時代閉塞の状況』で若者たちが『何か面白いことはないか?』とたむろする姿を描いていた。都市は、そういう欲求を満たす何かがあるのは確かだ。農村はそんな暇はない、畑を耕して、米を作るために苗代をつくり、田んぼに水を入れて1本1本植えないといけない。遊んでいる暇がない。忙しいのである。子供さえ親の手伝いをする。日が暮れると漆黒の闇であるから早く寝る。朝も早いし。


いまは朝までテレビが放映されて、レンタルビデオで過去の映画やテレビドラマ鑑賞、パソコンでゲームや動画、メールでやりとりと忙しい。ブログで自分の意見をまき散らしている。これは果たして『よりよいくらし』なのだろうか?筆者自身、これはどうみても尋常な暮らしと思えない。これが幸せか?と聞かれたら『否』と思う。


いったいいつごろから『しあわせ』という価値観が社会の主流に入ってきたのか。弁解めくが、いいくらしを目指して働いてきたプロセスが(毎日)が、実は幸せ真っ盛りではなかったか?と反省するのである。赤ん坊からだんだん子供が言葉をしゃべり云々を実は筆者は強く体験していない。それどころか、毎日午後10時前の帰宅がなかったから子供を見る時間がなかったのである。

  1. 不幸はいつまでも続き,幸福は直ぐに過ぎ去る。

    幸せだと思えるのは,かつての田舎での暮らしと,農作業や林業の手伝いを幼少期に体験できた事でしょうか。今では貴重な体験になりました。社会人になってからの都会での暮らしは全てが薄給の中でのやりくりですね。一時はバブルなど予期せぬ実入りもありましたが,長くは続きませんでしたね。むしろその後の暮らしにツケが回って来たものです。「不幸や苦労はどこまでも続き,幸せは直ぐに過ぎ去る」ものです。でも,幸せと感じる瞬間は,それらの長い不幸や苦労があったからでしょうね。初めっから幸せばかり求めても都合よく向こうからはやってきませんね。人それぞれで,どれが幸せなのかはわかりませんが・・・。

  2. 生まれれば,その時の環境で人生が始まる。その後も環境次第で人生は変わって行く。環境は自分の力だけではどうにもならない。思い通りにはなかなか行かない。むしろ振り回される事のほうが多いのかも知れない。気が付けばすっかり感化された自分が居る事に気づく。社会に順応する事は自分を犠牲にする事かも知れない。尖がらず,温和に,柔軟に他人に接していれば社会生活は旨く行くが,ストレスもたまり続けるのも事実。現代は「ストレス社会」と言ってもいいかも知れない。ストレスを少しでも減らす事が「幸せ」につながるのかも知れない。

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