江戸時代、最大の私塾。
7月5日から降りだした大雨の被害に襲われてる日田市の話に偶然なってしまった。大雨被害にお見舞い申し上げます。
江戸時代に、塾生が4000人いた私塾があったのはご存知だろうか?主催していたのは広瀬淡窓(たんそう)、場所は豊後日田(現大分県)。
「教育とは人間社会における最大の善行」をモットーに、どんな身分の者であってもOK、学ぶ学問は偏ってはならず、広く様々な学問をさせて、塾生の個性を尊重して学ばせたという。日田は幕府の天領地でもあって、この私塾に蘭学者・高野長英も籍をおいたことがあるという。
私事になるが、私の娘が隣町の中津市に住んでいて、福沢諭吉の生家であるとか、中津城を見学したおり、城の天守閣に「蘭学事始」が置いてあった。錆びたメスもあり、黒田官兵衛には申し訳ないが、オランダ語の解剖本を死に物狂いで翻訳した杉田玄白・前野良沢の方へに関心が向いてしまった。官兵衛の記念館の横に「村上医家資料館」がある。1640年ころから現在に至るまで続く医家である。
ここに数千点に及ぶ蘭学・解剖図・医療器具が展示されている。江戸の綴じ本も豊富で、自分に江戸期の本を読み解く能力がないので無念の資料であった。その家の中庭に白い蔵があって、幕府の政策を痛烈に批判して、指名手配になった高野長英が匿われていた。彼は江戸に入るとき人相を変えるのに化学薬品で顔を焼いたが、見つかり自決。しかし、そういう人を匿う度量というか、少数者であっても、幕府から(国から)睨まれても、理念を曲げない人たちがお互いを支え合っていた時代。またそういう気風を育てた私塾という存在は、その教師の徳や癖もあるだろうけれど、なんでも画一的に反応する時代、言葉までそっくりの思考放棄に近い人々が量産される時代に、江戸時代の私塾の凄さ。また「子供を働き手として早く使いたいのに」塾へ通わせた親の学びへの理解にも驚嘆するのである。様々な藩の子弟が多いとは思うが。
日田で大村益次郎も学んだけれど、日田の塾生4000人はどこへ行き、何をしたのか、東北から九州までの膨大な数の塾生たち、歴史記録には残らないけれど、明治の学制とともに消えて行った私塾。いつの時代、どこの国であっても失ってはいけない普遍的な価値が私塾には残っていた。歴史を作っているのは実はそういうひとたちではなかったか、筆者はそう思う。
注:私塾といえば将棋の世界もそうだし、武道や古典芸能に受け継がれてるが、一か所4000人の規模は凄い。長崎から入ってた洋学やオランダ語、特に医学。フリーシンカー(自由思想家)を生んで次の時代を創造する能力の種まきをしてくれるありがたい施設である。(2017年7月1日)『自由』を守るというけれど、『自由な精神をいつでも発揮できる人』は現代、極端に少なくなっている。
定年後の進学。
埋もれた歴史の上に私たちの存在があるのですが,つい忘れがちですね。本州には歴史を勉強するには有り余る資料や逸話が山積していますね。幼少の頃に遠足で登った古城跡も歴史に刻まれた古戦場も身近にありながら見過ごしてきたことが今になって悔やまれます。本州各地に比較すれば,比較的新しい歴史の近代的な北海道ですから,特に興味を持たれる方々が多いのでしょうね。我が家の近所にも電力会社を定年後,奈良の大学の通信教育を受講して時折奈良に出向いて歴史の勉強をしている方が居ります。若い時に大学進学をあきらめたいきさつもあるようですが,退職後に夢を実現しているようです。現在では比較的至近の国際大学にも通って,若い学生に交じって受講しているようですよ。年齢のせいもあってか?定期的に高額な注射を打っていて体調にも不安はあるようですが,毎日のように図書館や大学に通っています。勉強は受け身で教えられるのではなく,自ら進んで学ぶようになってこそ身に就くのだと思いますね。
seto
定年後、勉強を続ける人が図書館にもいて、いつも地図や年表を持って、パソコンルームで何やら書いています。もちろん
資料は図書館から借りていますが。私の兄も名古屋で定年、以降、名古屋の私立大学で財政学を学びたいと通いましたが、
1年で卒業。楽しいのは教授たちとの会話で、勉強というより、他人との交流でしょうか?一番の財産はおしゃべり相手が
いるということです。何億も持っていても、ケチで金もちを自慢する人には誰も近づきません。しかし、あの人に会うと、話
が面白いし、困って相談したら解決法が次々出てくる人には、棺桶に入るまで財産になるし、残念ながら幾らお金を積んでも
友人は買えないものですし、背信や裏切りで一瞬で失うことがあるのが難点です。
教育ビジネス。
今では,森友に始まって家計の果てまで問題の多い教育関連ニュースですが,大学新設や高額な有名塾など学問も完全にビジネス化していますね。「なんで?私が東大に?」なんて言うキャッチフレーズを懸垂幕に掲げたフランチャイズの塾も駅裏の立派なビルに入っていました。また或る巨大塾はビルを新築。予備校生のための宿舎棟まで構えていますね。受験生にとっては有難い事かも知れませんが,裕福な家庭は別としても,ごく普通以下のご家庭の親御さんにとってはこれでは「苦学」になってしまいますね。昔の塾はボランティアで,身分の分け隔てなく教えた事を考えれば,現代はすべてお金次第です。優秀なエリートも何故か政治家に成りたがり,失言や暴力で問題を引き起こす時代です。教育の方向もねじ曲がってしまった証拠でしょうね。
seto
子供がどんどん少なくなれば、大学も全員、希望があれば無償で勉強できる時代が来るような気がします。大学建設費と
教授たちの生活費補てんで、文科省の補助金と親の金が使われてるのが実態です。姪が結婚でイタリアミラノに3年滞在
その間、イタリアの大学でイタリア語を学んだら授業料はゼロと言ってました。若者の失業率が高いけれど、教育費が多分
北欧と同じようにかからないかもしれません。12世紀のボローニアが最古の大学ですから。塾は教える人の人格や徳性が
小さな子供に影響大でしょうね。いずれ中国語が必須科目の時代が来ると思います。日本企業が中国の傘下に次々入り、幹部が
中国人というスキームが筆者の目には映ります。もともと、日本文化のお手本は長い間、中国。次はヨーロッパ。次はアメリカ。
そしてまた中国に戻る。ぐるぐる回る文化です。この文字や漢字も親は中国ですからね。変な話題に入っていきました。
有事と教育。
大分県の日田とその周辺では豪雨と洪水で大変なことになっていますね。ニュースの映像で自然災害の怖さを思い知らされました。家庭も,安全なはずな中学校も,濁流にえぐられ,あちこちで死者も相当出ているようですね。気象庁でも予測もつかない集中豪雨のようですが,歴史ある本州の街づくりは,これまで安心して暮らしてきただけに,そのショックは大きいことでしょう。これからは災害に対する非難や救助も必須科目に加えなければいけませんね。東北でも多くの生徒や児童が亡くなりました。将来の我が国を担う子供たちには,有事の対処法を経験者がいちはやく教えることも大切な教育だと思いますね。
seto
日田の隣が中津市で、孫の幼稚園はいつもどおりの授業。福岡でも少し離れたところでは、7月になって何ミリしか降らず
渇水だと言ってて、天気はピンポイント。北海道なら住まないような山奥に点々と集落が続き、先祖代々の家と土地を守る
老人が多い。狭い山道が崩れると孤立集落になる。平野に大都市はあるのですが、平野を離れると山のさらに奥にも家々が
連なる。日田は盆地で、湯布院温泉へ行く場合JRの通過駅なので、温泉キャンセルも多数あろうかと思いますが、それより
命あっての物種、行方不明者が無事戻られることを祈るばかりです。