ミニマム生活

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若い人を中心に「ミニマム」生活が流行っている。幾つかの実際に住んでいる写真をgoogleで見たが、なんだか空洞のような空間、これでいいのかなと思ってしまう。ネアンデルタール人やクロマニヨン人の洞穴の暮らしの方が狩猟した動物たちの肉や作りかけの被服や矢じりや子供の寝床や棒切れやたくさんあるような気が筆者にはした。

 

それより整理整頓して、収納スペースにきれいに納める暮らしをする方が先ではないかなと写真を眺めながら思った。なんだか無理して哲学を作り(思い込みを作って)実践しているような気もするのだ。もっと人間は若いときは欲望的だし、欲しがるはずである年齢とともに自然に物は捨てて行くから。若い人の見識が高すぎて60歳になって断捨離を始めた私は恥ずかしいのか、どうにもミニマムな暮らしの写真を見ると、私は気分がパニック的「広場恐怖症的」になってしまう。

 

そういう生き方なら、私は1994年刊の「人にはどれだけの物が必要か」(ミニマム生活のすすめ)(鈴木孝夫)新潮文庫。”買わずに拾う、捨てずに直す”生き方の方がおすすめだ。「消費は美徳」「万事使い捨て」「いま持ってるものを捨てさせ煽る広告やCM」に、「こんな消費生活をしていたら人類にいずれカタストロフィが来るよ」「タイタニック号ではないが、氷山に激突しますね」と感想をもらしていた。人間が幸福に生きていくために何がどれほど必要かと本気で考える人(ホモ・フィロゾフィクス)が世界から消えてしまって、ホモ・エコノミクスとホモ・ファーベルが跋扈の時代だ。地球を救う「地救」原理の提唱者だ。

 

テレビでアフリカの少女が水を汲みに片道10キロを歩き頭に乗せて自宅に帰る映像を見たり、日ごろ捨てているペットボトルを大事に水を小分けする道具に使っている光景を見てハッとした。道具と命が直接つながっている。その水も胃腸の弱い人なら下痢を起こすような水質だ。生きる原点を見せられてる感じがした。いまの「ミニマム的な生き方」がお金がないから買えないのか、買えるけど広々とした解放感を味わいたいのか、環境を汚したくないからなのか、掃除をしやすいからなのか?

しかし、暮らしは空間だけではなくて、自分の生き方そのものを含んで成立するのもだ。「経済成長はもういいのでは?」という国家が出てきてもいい。そういう企業が出てきてもいい。そのかわり生きるための食品や必需品は安く安く提供、国がその業種へ保護を与えればもっと住みやすい国家・国民になるだろうと思う。

欧州でも農業だけは保護の対象にしている。生きると食べるは最低な要件、それこそミニマムなのだ。ミニマムという言葉を使うとしたら、こちらの最低限の暮らしについて語るべきものだと思う。私の住む街は農家に囲まれ、小麦・大麦・米・ジャガイモ・カボチャ・黒豆・白豆・キャベツ・ビート・トウモロコシ・白菜・ニンジン・ホウレンソウ・キュウリ、温室でトマト・イチゴ・メロン・アスパラガス・ショウガ、乳牛もいて、馬肉のお店まである豊かな田園だ。

 

この国が敗戦後、国内の混乱が少なく整然と生きられた背景に引き揚げ軍人を食べさせれた実家(親戚)の農家があったから餓死が起きなかった。兵士へ補給しなければならない戦地は餓死ばかりだ。餓死はこの国の近未来を写すと思う。スマホは食べれない。ゲームも食べれない。食べれなくなると、人肉食らうまではいかなくても、他人を平気で排除して、知らぬ顔をする輩が跋扈するものだ。

 

  1. 引っ越しを前提の住まい。

    物を持たない暮らしとは,必要な時に借りたりするのでしょうね。自分は持たなくても,持っているところから借りるのでしょう。裏を返せば,持っている人は借りなくても済むとも言えますね。経済的にどちらが得か?と言えば,使う頻度によって違いますね。よく使うものは,何度も借りるよりは自分で所有するほうが経済的でしょう。ですから持たないとは言え,最低限とはどの範囲までを言うのか?個人差もあるでしょう。都会暮らしは長く定住することもないでしょうから,物を持たない方がいいのでしょうね。つまり引っ越しを前提にした暮らし方とも言えますね。落ち着きませんね。

  2. 80代からのミニマム生活。

    僕のオヤジが長い独居生活で物置小屋や家屋内にガラクタを置いたまま亡くなりました。廃棄ゴミ処理費用の見積もりは80万円でしたが,家屋の解体と一緒に廃棄処分にしました。150万円でした。本人にとっては,まだ使えるものと思って保存していたのでしょうが,本人以外にとってはガラクタでしかありません。また,僕の自宅前の80代の老夫婦ですが,ご主人が元,地方の営林署の方で木の伐採などをしていたそうです。札幌に来てからもガレージを改造した作業小屋で毎日のように大工仕事をしていました。道具はプロ仕様ばかりです。趣味ですが,隣近所の大工仕事もボランティアでやってくれていました。当然家の周りには部材など山積していましたが,この数週間前に介護施設への入所契約したらしく,毎日片づけだしました。朝から部材を電気のこぎりで刻む音が毎日響いています。介護施設に入所すれば,当然ミニマム生活に代わるのでしょうね。

  3. 必要不可欠?。

    今からでは遅すぎるが,ミニマムと言うか?居住空間にゴチャゴチャと物を置かない暮らしができればいいと思う。その場合,必要最小限のモノって一体何だろう?と考えてみると,①リビングにソファは要るだろうか?②大型TVやブルーレイのデッキやスピーカーなど要るだろうか?③観葉植物など要るだろうか?④コート掛けなど要るだろうか?⑤机と椅子など要るだろうか?⑥かさばるベッドなど要るだろうか?⑦パソコンやプリンターなど何台も要るだろうか?⑧ゲーム機など要るだろうか?⑨大型冷蔵庫など要るだろうか?⑩固定電話やファックスなど要るだろうか?⑪暖房用ボイラー・給湯用ボイラーは要るだろうか?⑫水洗トイレのウオシュレットは要るだろうか?⑬自転車は要るだろうか?⑭クルマは要るだろうか?。全部必要な気もするが,昔は無かったものばかり。昔の方がミニマム・ライフだった事に気が付く。昔の生活に戻れないのなら,せめて今の若者から始めるのもいいかも知れない。

  4. ミニマム族?。

    スマホさえあれば?のようなヤングたちが多いですね。みんな「歩きスマホ」,「ながらスマホ」。家でも「ごろ寝スマホ」と言うわけで,ほとんど肌身離さず,まるで命の次に大切なモノのようです。新聞も購読しない,TVもほとんど見ない,会話はスマホでのみ,そのほかのコミュニケーションはLINEなど
    SNSで。音楽もゲームもニュースもスマホ。退職願すらスマホからメールで済ませるようです。スマホさえあれば何にも要らない。スマホ有りきでシンプルなようですが,どこか変な時代になりましたね。これもミニマム族なのでしょうか。

    • 自分分さえいらなくなる時がくるかもしれません。ロボット化した自分、誰とも代替可能な自分です。奇妙な時代です。
      こういう時代に適応しないほうが、未来構築をするうえで大事かもしれません。電源消失しても生きられる人がDNA
      を残す気がします。

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