筆者撮影 自宅横の日本庭園

なんだか定年後の夫在宅に悩む、ランチ鬱にイライラする主婦の悲鳴ともつぶやきとも取れるが、しかし、これは主婦に限らず、子供から老人まで共通の深い感覚のような気がする。『文字漬け』と『数字漬け』『接客漬け』の毎日で疲れている人も多いかもしれない。『ひとりにしてくれよ』という本音と板ばさみの毎日かもしれない。その発散がゲームの世界かもしれないし、音楽の世界に浸っている人を見て思う。

ブログは立場上、発信者の位置に立つ。幼稚園や学校や大学は先生も『きょうは雪で休み』と先生が発信者で内容もビジネスライクだ。感情の錘(おもり)がない。難しいのは同級生や同僚とのやりとりで、前の職場で30歳年下の後輩にランチを奢ったら『あざす!』と返信。ここは『ご馳走様でしした』と書いて欲しかった。親しみはわかるが軽いなあ・・・ということを相手に考えさせてはダメである。風のように通過する言葉で十分だ。

普段、知っている友人・同僚・同級生から感情を伴うメールは(感情の伴わないメールってあるのかな)、個人差が多過ぎて乱反射メールになる危険がある。伝える相手に気持ち良さを残すメールって書けないものだろうか?とはいえ、親しいカップルや5時半を過ぎてひとりで帰るOLやサラリーマンのすがすがしい雰囲気を見ていると、居酒屋やパチンコ、レストラン、買い物へ行く人も多いだろうが、『ようやくひとりになれてよかった』という安堵感が見える。

私の一番好きな時間は『会社を出て、駅に向かい、電車の中に座り、日刊ゲンダイを広げて、活字を追う時間』でまったくひとりの世界だ。家に帰ってもドラマも見ないので2階に上がり、仕事をしたりブログを書くために本を読んだり、ひとりの時間が多い。35年以上、会社の宴会でも、お義理で出席の会がほとんどであったが、お開きになると『やれやれ終わったか』と笑顔が多くなる。酒好きと語り足りない人だけはススキノや近くの居酒屋へ行くが、ひとりになってルンルン帰るのが多数派だ。

そういえば学生食堂も窓際に一列外を向いてる席が人気がある。向かい合ってお喋りより、スマホをいじっての文字対話が主流かもしれない。電車でも夫婦が並んで座り、会話より、それぞれスマホで液晶の向こうの人と短い会話をしている。それぞれが、円の中で生きていて、円が二つ並んでいるのが夫婦みたいで、きっとどこかで交差するのだろうが、これからこういう家庭や男女のカップルが増えてくるんだろうなあと世代のギャップを感じる筆者である。

  1. 自分ファースト。

    一人は好きですね。自分にも当てはまるのですが、人にはそれぞれ癖があって、それが気になりだすと一緒の空間にいたたまれまくなるのです。距離を置いていれば気にならないのですが、入り込めば入り込むほどお互いの欠点は見えてきます。良い点だけを見ようと努力をするのですが、置かれた環境の違いから同じ性格などあり得ませんから、考え方にも大きな差が生まれますね。自分では大した問題意識もないことが他人にとっては大問題だったりもしますから。いくら説明しても理解するどころか、怒り出す場合もありますね。そんな時、説明しても説得できないとなると、その場を離れるしかないですね。人間はすべて自分本位に生きていますから、自分が基準になります。つまり自分ファーストと言うことですね。言い換えれば、自分が一番好きとも言えますね。

    • ひとりで生まれてひとりで死んでいくわけですから、もともと生物はひとりなんでね。海から生物が誕生したと
      したら、海へ帰る、誕生した場所へ帰っていく営みが生物の歴史ともいえますね。ひとりになりたい願望は、ずい
      ぶん全うな感じ方ではないかと思います。針だらけのヤマアラシを自分にたとえると、近づき過ぎると相手の針が
      刺さりますから、刺さらない程度に距離をとらないと血みどろになります。小此木啓吾(精神科の医者)の本に書いて
      ましたね。ヤマアラシのジレンマです。しかし、世の中には世話をしないと生きられない人たちがたくさんいるので、
      世話係の人は大変です。認知の親を見る子供、障害者を抱える親たち、引きこもりの子供を抱える親。そう考えると
      ひとりになれるのは贅沢の極みといえるかもしれません。

  2. お昼休みの使者

    「ひとりになれるのは贅沢の極み」というのは、非常に刺さりました。昨今、「たくさんの人種(人間)と出会うこと」が自己の啓発に溢れている気もするのですが、そうでない者は駄目なのか?と疑問にもやもやしていたジブンがおりました。本記事で少し、生きる“荷”が下りたものです。しかしやはり「1人になれる」というものは、その気になれば「どこかで誰かに会える」という前提があるのでしょうか。繋がりと孤独のバランスが難しいものです。

    • つながりと孤独のバランスというのも言い得て妙です。なかなかこうはいきません。ひとりになりたいときに
      電話が入って『お茶しよう』ですから。最近は、寝ていても夢に他人が出てきて、ひとりにしてくれません。
      このままいくと死んでも誰かにまとわれる気がします。

  3. 男も女も、おひとり様が増えています。男女が交わることで社会の構造が保たれてきたのですが、たとえ一時交わったとしても即別れるパターンも増えて、家庭を持って末長く幸せになど夢のまた夢の時代になりました。原因は大人たちの悪いお手本が希望ある若者たちの夢を冷めさせてしまったのでしょうね。よく、今の若いもんは・・・と言いますが、言っている本人たちの世代の責任も認めなければいけませんね。親たちの悪いところを子供達は見ていますからね。さらに情報機器の発達も手伝って全国津々浦々、考え方も平均化して来ていますね。自分は自分なんですがね。

    • 親の世代が相当悪いですね。特に60代・70代ですね。お手本になる生き方を集団でも地域でも家庭でも
      全然してないで、俺が俺がの競争ばかりしていて、後ろを振り返っていないですから。どこか付け焼刃的な
      人生を送ってるように筆者には見えます。若い世代から見たら、全然、中身のない・空疎な人生に見えると
      思いますよ。説教だけは知識で武装していますからタチが悪いです。

Leave a Reply to お昼休みの使者 Cancel Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です