なぜ男と女は4年で嫌になるのか。(姫野友美著)
クリニックを経営する著者が悩み相談に来る中年の男女20名にアンケートを取った。『妻の夫に対する疑問と不満』『夫の妻に対する疑問と不満』。結論はなんと『夫婦は男と女だから嫌になる』。生活を共にする年月が長ければ、わかりあえる度合いも増して仲良くなると思いきや、現実はそうならない。人間という同一の生物ながら、男と女は本当に同種の生き物かと思うことがたびたびある。私の経験でも数限りない。
著者は大脳の構造から、そもそも女の脳は『共感脳』、男は『解決脳』で同時にいくつものことができないようになっている。太古の時代、男は『狩猟』という明確な目的に向かって生きてきた。寡黙に沈着冷静に『外に向かって生きている』。女は樹の実を拾いながら、育児をして隣の人や村の女性たちとぺちゃくちゃして時間を潰す。自分が多くの仲間に受け入れられるように。男は太古から『戦士』だというのが姫野さんの男認識に読みながら辟易するが、サラリーマン→戦士→出世=稼ぎ・・・という図式だ。当たってないわけでもないだろうけど、いまは『そこそこ』で生きる若者が多いから、アンケートの対象者が中年というというところがポイントだ。
さて、表題の『なぜ男と女は4年で嫌になるのか』の結論はこうだ。恋愛感情は脳内神経伝達物質・フェニールエチルアミン(PEA)に支配されていて、これは麻薬のような物質。『恋は麻薬』。このPEAの有効期限が3年だというのだ。夫婦になって3年もすると飽きがくるわけで、次の4年目で嫌になって破綻するというわけだ。歌謡曲に『3年目の浮気』という題名があるけど、PEA減少からいっても科学的に説明できるというわけである。
原始時代も、子供が乳離れを起こすのがほぼ結婚4年目であることから、男女の愛が冷めてくる。これは脳内ホルモン分泌のせいだと思えば、自分を責めないで楽しく生きれるような気もするである。しかし、この本の中で一番おもしろかったのは『夫はなぜ靴下をリビングに脱ぎ散らかすか』という妻からの不満や疑問に姫野さんが『犬のマーキング行動と同じ。なわばりを確保しているのだと。靴下の匂いを嗅ぐ癖もある』さらに長男でもいようものなら『彼も父親と重ならないよう靴下を脱ぎ散らかす』父親のテリトリーに入らない。一定の間隔を置いて脱ぎ散らかす。それがひとり暮らしを始めると『靴下をきちんと洗濯機に入れる。すべての空間が自分のテリトリーなので縄張り確保が必要がないのだ』筆者は単に面倒くさいの一言で済むと思うのだが、クリニックはいろいろ理屈を考えるものだ。

男は黙っていても。
男女の恋愛関係は、少なくとも一年間はお互いを観察しながら過ごさなければいけないと思う。その間にお互いが欠点を見つけて、もしも所帯を持つとしたら、この先その欠点を受け入れられるか否かを判断する。とても我慢ならなければ恋愛だけでやめたほうが正解だ。欠点がなければそれに越したことはないが、寛容な心で、それら数々の欠点を受け入れて一緒に住むことになったとしても二年目から一年間で観察できなかったことが判明する。そこで離婚したり、不仲のまま憎みあいながら夫婦喧嘩の耐えない生涯を送るかだ。4年も我慢できれば相当辛抱強い方かも知れない。そんな不仲な夫婦生活を長持ちさせる解決法としては亭主が「寡黙」になることだ。しかし「男は黙ってサッポロビール」と決め込んでも「ビール飲んでテレビ見てゴロゴロしていないで、もっとちゃんと稼いできなさいよ!私のやりくりが大変なんだから」と罵声が聞こえてきそうですね。何をしていても結局煙たがられるのは男に与えられた人生なのかも知れない。
seto
煙たがれる存在としての音ですね、よくわかりますが、これでは若い人が結婚に向わないわけです。彼らの
ためにいい夫婦を演技できないといけませんね。