どの分野にも自信過剰が20%強いる。
米原万理さんの「ガサネッタ&シモネッタ」に、表題の文章が出てきた。20%強とは約30%近い数字と考えると、3人にひとりくらいは、どの分野でも自信過剰者がいると考えれば、なるほどと思う。どこまでが自信過剰なのか測る物差しが残念ながら書いていない。ガサネッタなのかもしれない。
プロ野球やサッカー・芸能界で自分で自分を鼓舞するのはあたりまえの世界では、何をいまさらと言うかもしれないが、運動神経も大して高くもなく、勉学も並み程度、女性から追いかけられたこともなく、仕事で困ってる人あれば助けるぐらいのことしかできず定年を迎えた。そんな私からみて、自信過剰者ってどういう人か思い描くとほぼ全員が何かの分野で自信過剰に見える。
可愛い自信過剰ならいざ知らず、許せないのが、具体的に書けないけれど犯罪すれすれの行為をしていても、平気で自信ありげに仕事をしていた人たちだ。結婚前提に付き合いたいというので、私が紹介した職場の女性を、初回のデートから自分のマンションへ連れ込み、遊ぼうとして逃げられたテレビ局社員。私を遠くに見かけると、回れ右をして別な小路へ入って逃げていく。
大人同士の付き合いだからいいけれど、ホテルのレストランで顔合わせをさせたのが私であるから、礼儀くらいはあってもよかったのではと思う。体育会系のいかにももてるといういい男だ。そういえば、私の学校時代を振り返ると、体育会系の同級生はひとりもいないことに気付いた。それに比べてマスコミ関係者の運動部出身者の多いこと!この大学のラグビー部から〇人、野球から〇人と採用枠が決められているとしか思えない。商社にも多い。屈強な体といえば聞こえはいいけど、私の見る限り大脳が筋肉化して融通がきかない輩も多かった。これが自信過剰を生んでる元凶かもしれない。
自慢ではないが、貧しい札幌東区育ちなのでお金のかかるスポーツは縁がなくて、そこそこ遊びとしてのサッカー、野球、バレーボール、鉄棒などをしてワハハと笑いながら時を過ごした。自信過剰もこの分野では生じない。リトルリーグもなく、誰ひとり少年〇〇クラブなんて通っていない。自信過剰といえば徹夜の花札やインチキマージャン大会の点棒、当時画期的だった平凡パンチや週刊プレーボーイのヌード写真をどれだけ収集しているか自慢していたのはいた。こんなのは自信過剰とは言うまい。
別にスポーツをしなくても頑張る奴は頑張るし、社会の側に強い偏見がありそうですね。縦の命令をハイハイ聞いて生きていく時代でもないし。それより、何を考えてるかわからないくらいの人が革新を起こす火種だってある。下町のテキトー感覚は豊かだ。
貴重なのは、だからといって別に劣等感もないというところで、下町育ちはなかなかいい奴が多い。が、だまされやすいくもある。自信過剰が20%強というテーマから、下町育ちはいい人多いよという私の自説に急展開した。これがきっと、私が下町育ちに異常なほどの自信過剰の偏見を持っている何よりの証拠かもしれない。やれやれだ。私も同じ穴のムジナだ。
昔の少年
遊びが前提なのに『結婚を前提に・・・』は余計でしたね。人を紹介するのは難しいものです。子供も居ない昔の上司の奥様が亡くなり、本人は気が動転していたので、夜通し線香の火を絶やさず葬儀の日まで遺体に付き添ってあげたけれど、一周忌が終わらないうちから『嫁さんを探してくれ』と誰彼かまわず頼んだ挙句。紹介しなくて良かったと、言うのは、前々から二廻りも若いゴルフ友達の彼女が居たのだ。三回忌を待たずして結婚した大嘘つきだ。この人も自信過剰で軍体調の体育系の真似で『おい!お前!』と平気で言う。今流行?のパワハラ上司だ。ある休日にゴルフ場の練習場に夫婦で行くと、スタート前の彼が居た。『おい!お前!何してるのよ?』と、僕の家族の前でも。へたくそゴルファーの癖に上からモノを申す。ゴルフの練習に決まっているのに悪口を叩く始末。或る日『いい死に方しないよ!』と言ってやったら『キョトン?』としていた。毎日新聞の死亡欄の厚別区を見ているが、今日もまだ健在のようだ。彼の葬儀には絶対行かないが、正に『憎まれっ子世に憚る』だ。僕は東京の下町生まれも、ほとんど田舎育ち。東区が貧乏?とは昔々のお話ですよ。今ではBMWもAudiも売れていますから。北海道の人は擂れていなくて従順で裏が無い人が多いのは確かです。前述の僕のかつての上司?以外はね。大阪で過ごした青春期には電車の中でも警戒しっ放しでしたから。自信過剰は僕にもありますね。大手広告会社入社の面接では、銀座の東京本部まで行き、本部長にいかに優秀な人材かを自己アピールして待遇良く採用して貰ったり、クライアントを作品や企画書で説得したり、自動車大手メーカーに直接提案に行ったり。今、思えば自信過剰のハッタリ屋ですね。それとも?体育系に引っ掛けて『草野球?』。(ミットもない?)