鍋を持って、熊肉を取りに行く。熊談義。
私が24歳のとき、芦別市上芦別で林道の測量アルバイトをした。赤と白の測量棒を持って野山を歩く。地方の旅館で1か月間寝泊り。5人でチームを作り、飯はタダ、給与も40年前で月13万円あった。財団法人が全盛の頃で、どんぶり勘定。雨の日はお休みで、昼間はチンチロリンやトランプ遊び、夜は市内のスナックへ繰り出す。月末には札幌から現金が送られてきて、旅館へきっちり支払い、最上級のお客さんだ。これが全部税金で賄われていた。飲み代だって怪しいもので、経費に入れ込んでいたかもしれない。林野庁の外郭団体だ。
朝の6時には山へ向かい、林道を作るための測量をしては帰って地図を作る。林道の選定はこのコースにするとか、山を削ってその土はこちら側の谷に落とすとか自然破壊そのものの前段仕事だ。樹皮が熊に削られているのを見たし「おっ、この傷は新しいから近くに熊がいるぞ」とベテランが言うとポケットから音の出る花火(2B弾)を出してマッチの引火部分で擦りドカンドカンとやる。突然の雨で沢歩きの石が消えて難儀した。私自身、斜面から落下して、切り株に頭をぶつけて一瞬、気絶したこともある。ヘルメットに助けられた。
ある秋の夕暮れとき、上芦別駅前でを根室本線を横断する母熊と小熊が地元の猟友会のライフルで撃たれた。さっそく防災無線で「ただいま、線路を横断した熊の親子が撃たれました。熊の肉を欲しい方は上芦別駅まできてください」とアナウンスあって、旅館の女将さん、早速大きな鍋を持って駅に走った。「もらってきたよ、美味しい小熊の肉!」。測量帰りに採取した膨大なキノコ類と小熊の肉の競演鍋だ。「これは贅沢だ」と女将さん。
今までにも何回か熊肉を町民で分けて食べる習慣があったらしい。肉の味は美味しい。少しクジラ肉やエゾシカの肉に似ているが、小熊は美味しい。断言しよう。冬眠前に人里に降りてきて、悲劇に見舞われた母熊と小熊。アイヌの人たちも熊の肉を食べたかどうか?調べてみると、確かにイヨマンテ(儀式)で熊の解体が行われ、それが伝授されていると書かれてるし、本州のツキノワグマも鍋料理にされているところをみると、中部あたりまで、マタギの人たちも捕まえては食べたり、皮を剥いだりして冬の敷きものにしたり、熊の皮を着ていた。
吉村昭の「熊嵐」の題材にされている、開拓民7名が民家で襲われ死者を出した事件もある。北海道苫前郡古丹別で1915年12月9日~14日に起きた事件だ。いまでも札幌に冗談ではなく熊が徘徊している場所があるので注意だ。山側だけど。
昔の少年
小学生の我が家の子供達に『♪ウサギ~美味しいか~野山~』とウサギ狩りの話をすると信じられない目で蛮人扱いされる。子供達にとってウサギは可愛いキャラクターだからだ。ウサギの耳は、村役場へ持って行くと二つで100円くれるから一軒しかない駄菓子屋で美味しいお菓子に化けるし、毛皮は鉄砲撃ちの猟師のおじさんにあげる条件で肉を貰って叔父さんの家ですき焼きにして従兄弟達と食べる。鶏肉みたいに軟らかく美味しい。(一番美味しいのはキジに似た山鳥の肉だが)猪にも遭遇したが助かった。しばらくして一見、杉の枝葉に間違えた撃たれた猪が小型トラックの荷台に乗せられていた。次の日の食卓では猪の肉を食べていた。熊には松茸狩りの山奥で遭遇した。月の輪熊はヒグマより小さいが野生だから強暴だ。大酒飲みの僕の叔父さんは死んだふりして助かったと自慢したが、今でも信用していない。熊の肉の味はハッキリとは覚えていないが硬かったような気がする。鹿肉は最近家でもレストランでも食べたが、僕の野生も消えたのか『♪小鹿の~バンビは~』を想像してなかなか箸が進まない。