依存症ビネス(第6回)
これまで何回か、クスリやアルコール、買い物などを書いてきたが、今度の章はオンラインゲームにはまった大学教授について書いてあった。使う側ではなくて、ゲームアプリを開発する側から見て、使う側を中毒にさせないとビジネスが成り立たない。そのために派手なテレビCMを流してソフトのダウンロードで課金していただく。
依存症ビジネス全部に共通するのは、むしろ作り出す側が作っておいて、そのために大脳の仕組みや反応を膨大な研究費用を投資して世界にソフトをして中毒にさせる手法である。使う側はできるだけ、はじめは中毒と思わず『楽しい』『快感だ』を受信してくれればOKである。そして『便利』や『快適』や『無料』の付加価値がつけば最強である。この世界は洗脳と紙一重である。別名『脳のハイジャック』。
自分で考える習慣の無い人は(私も自信はないが)、その人が話していても誰かの話をパクッていたり、テレビや新聞のコメンテーターが言ったり書いたりしていることを口移ししている可能性もある。ある権威に依存して(私のブログもこの傾向もある)意見する・発言する習慣の力は凄い。権威が(世間)であったり(みんながそう言ってるのみんなであったり)、教科書の中の見えないイデオロギーであったり。私は20代のある時期に、受けた教育を全部消そうと思った(妄想した)ことがある。すべてが『受験勉強の延長でしかなかったことに気づいたときである』。
いまの言葉でいえば『脳がすべて受験のためにハイジャックされている』ような気分であった。しかし、日本の初等教育で受けた受験へ向けた勉強は30年経過しても40年経過しても悲しいかな私の勉強癖が直らない。『楽しんで学ぶ』というより『学ぶために学ぶ』『向上するために学ぶ』という意識が取れない。依存症ビジネスの6回目は、依存症にはまってるどうしようもない自分について書く羽目になってしまった。
新興宗教も子供のころから『洗脳させる』ことが信者を減らさないために必要で、別な意味で『脳へのハイジャック』をしている。今日、依存症を解毒させる何かいい手立てはないものだろうか?なぜ、依存へ向わせるのか・・そこを問い詰めるといいとは思うが、自分の大脳を相手に、その快感癖の部位を、自分の意識や行動パターンを変える事でいい方向へ(いい方向とはどこへ?)チェンジできれば最高であるが・・・・。しかし、それは味気ない世界に入ることにならないか?
知らぬうちにネットで買い物をし過ぎたり、ゲームで課金し続けたり、審査なく借りれるお金を申し込んだり、無料ポルノと思ってみていたら有料サイトへ勧誘されて法外な料金を要求されたり、競馬で万馬券を取ってしまい抜けられない人生にはまったり、小さな横領をしたら成功してどんどん金額が増えてきてヤバイところに追い込まれたり、世の中は油断も隙もありゃしない。
以下は、脳が現在置かれている危機を警告する本たちです。
坊主の孫。
デパ地下やスーパーの店頭での試食のように、好きな物のつまみ食い程度にしておくのが良いのかも知れません。余り深く入りすぎればスパイラルに陥り自らコントロールできなくなり、つまりは依存症になるのでしょう。一つの事に長けた才能を延ばす事は依存症とは言えないでしょうね。強いて依存症に分類するとすれば、無駄な事の繰り返しに気づかない状態とも言えるのではないでしょうか。
seto
つまみ食いですか、いいですね。人間関係の理想でもあります。つかず離れず、ひとりに強い。現役時代、スポンサーを他社につまみ食いされましたが、当たり前ですね。自分のスポンサーって、勝手な自分の妄想ですからね。所属した会社も幻のような存在で、去年の秋、いまいずこですか!ちょっと間借りの人生です。そして、さよならだけが人生ですね。
広告マン。
ビジネスに利用?(悪用?)される事例を依存症と位置づけるなら、自由経済社会では殆どのビジネスの狙う所でしょう。繰り返し利用する、購入する、使用する、などを狙ったビジネス戦略は身辺にはあふれていますし、自分も含めて直接的では無いにしろ、そのビジネスに参加しても居ます。現実社会では善悪双方のバランスがどちらに傾くかは、消費者や労働者の選択肢に委ねられているのでしょう。判断基準はすべて個人次第でしょうね。
seto
もうカードを作った時点で、スマホやPCで物を購入した時点でアウトですね。全裸ストリップは覚悟の社会になりました。幾ら文句を言っても遅いです。履歴を残さず、生きるのは現代、至難の業です。文明社会から遠ざかるしかありません。