フランス17世紀の数学者にして思想家のブレーズ・パスカルさんが人間は退屈に耐えられない動物で、あらゆる人間活動は「その退屈を紛らわす慰めごと」で、「退屈になると部屋の中でじっとしていられなくなる」と。じっとしていれば争いごとも起きないのに動き回って不幸をたくさん作る。

テレビ古風

テレビは「きょうはニュースになるような事件は何もありませんから、静かに安心してお過ごしください。ではさようなら」。新聞も1面で「きょうは伝えることがありませんので、真っ白な紙面です。お悔み欄だけは〇〇面に収容しました。明日も何もなければ、きょうと同じ紙面になります」。


今日から見れば、これは異常な事態かもしれないが、想像をたくましくしていただければわかるけど、新聞発行される明治5年「東京日日新聞創刊」以前は、号外や立札や噂話で庶民は事足りていたのである。(ちなみに明治8年にすでに新聞の戸別宅配という制度を作っていた)


私のきょうの話はメディアがあると、事件は作られやすいということである。たぶん私は事件や事故や殺人やイベントや騒音や、そういう事柄がない静かな環境を無意識に欲しているのかもしれず、そうなら山の中に行って仙人にでもなればと言う人もいた。そういうことではなくて、十分、静かな日常は送れると思うのだが。日曜日に娘婿を迎えに新千歳空港へ行くが、人人人。


先日、美瑛と富良野へ撮影に行った友人からメールがきて、「自分たちが外国人ではないか」と錯覚するぐらいの国外観光客ラッシュだと。小樽へ行った別や友人も同じような内容のメールが来た。茹でトウモロコシが1本500円だとも。せいぜい高くても300円が相場。どうして小樽はこういう値付けを平気でするのだろうか?昔、寿司の値段を巡って作家か評論家が酷評して大問題になったばかりなのに、過去に学んでいないね。


きょうのテーマは「ニュースが何もない一日」だったね。そうか、動いてあちこち行くと、そこに人の波があって、私に耳と目と言葉があれば何かを目撃して、さらにメディアと接触したり、携帯やパソコンがあれば使ってしまう自分の感性や手段があって、自分はお喋りときているから、そもそも無理難題なテーマを掲げたに過ぎない。


けれども一日でもいい、殺人がない、自殺がない、せめて事故がない一日があってほしいと切に思う。私たちの感性が、そういうのは当たり前に起きることだよと当たり前に思うことが当たり前ではないのだということに気づきたいものだ。身近に防げるものには防いでいきましょう。NEWの複数形がNEWSか?せめて事件が複数から単数形になってくれればね。


日露戦争で偶然にも日本が勝って、その勝利に歓喜したのはいいが、次の目標を失ってしまった若者たちが「何か面白いことはないか」と彷徨する風景を石川啄木は「時代閉塞の状況」というエセイで書いていた。退屈は若者だけでなく、人間が根源的に持っている病気かもしれない。満腹した動物が無駄な動きをせず、じっと座ってるか寝ているのが生物として正しい生き方を、人間はどこかで狂ってしまったのかもしれない。文化や文明を作ってしまった。(8月31日加筆)。後ろ向きに未来へ向かっている。

  1. 幸あれば不幸あり、で、いずれにも当てはまる人や、また、それらを必要な人たちが居て世の中はそれなりに成り立っていますね。しかし事件事故は歓迎出来ませんが、原因が故意の場合は別として偶然もあり得るわけで、自分自身も予期せぬ被害者や加害者にもなり得る可能性も十分にありますね。悪いニュースは歓迎出来ませんが、コロナ禍で感染拡大を抑える為の県外往来規制を呼びかけても逆効果で人流は日々増えるばかり。人の行動や行為は、今日も新たなニュースを作っていますね。ジッとして居るのが苦痛、黙って居るのが苦痛の生き物ですね。人間だもの。

    • ベッドの横のミニパソコンを開くと、坊主の孫さんから深夜のコメント、ありがとうございます。こう書いている私自身が、多動性障害気味でじっとしてられないのでしたのが営業の仕事かもしれません。幸あれば不幸アリですが、何が起きるかわかりません。動物は動き回ることで、えさを探しているわけです。エサが売上か、給与をもらい食べ物を買うのかの違いですが、どうにも黙っているのが苦手な生き物ですね。新型コロナが今後どういう方向で動いていくのか、ワクチンや新型の飲みクスリが発明発見されるのか、人間の方が体質が変わっていくのか見えませんが、とりあえずは3回目のワクチン接種を希望者に終える選択がされると落ち着きますが、新しい変異が次々出てくると、自分の人生の最終章まで付いてきますから、気味悪いです。社会全体に漂うイライラ感が気になります。世代を越えてね。ウィルスがうつ病を増やしてなければいいのですが。

  2. ニュースが何もなければ不安になるかも知れませんね。世の中で何が大変な事が起こっているのでは?と。そして何らかの方法で情報を得ようと試みるかも知れません。そして静か過ぎる何も無い状況に慣れていない私達は耐えられないかも知れません。これもそれも悪いニュースに慣らされ過ぎたからなのかも知れませんね。

    • ニュースは悪いニュースが多くて見たくないこと・事件が多いです。ベッドでこれから読書ですが、寝ながら思うのは地震です。築40年の家なので振動に弱くて、敏感に肌で揺れを感じます。新聞とラジオの時代のほうが世の中は落ち着いて、信頼関係と地域コミュニテーありました。作ろうと思えばいまでも疑似的な小集団つくれますよ。現代人は多く、そういう信頼の輪を作りたいと思いますよ。そこにdきれば暗いニュースはあんまり入れないで楽しい時間を過ごしたいです。パスカルはさすがに人間の本質を見抜いてます。キリスト教の神を信じれば、もっとパスカルを理解できるのでしょうが、あいにくでした。狩猟採集時代は、どこそこにウサギが2匹板ヨ、サケが遡上してきた、そういうのがにゅーす7でしょうね。

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