見たくない、知りたくないものはいずれ襲ってくる。
仕事で売掛が生じることがある。1万円でも100万円でも同じ。これが5件10件と増えても、『いつか入金するから、大丈夫、大丈夫』と自分に言い聞かせ、月末や来月の仕事にまい進して、売掛の回収を後回しで生きてきた。営業からすれば『見たくない、ほっておいてくれ』の案件で総務・経理の側から言えば『とんでもない!いつ入金されるかはっきりしてください。経理から支払いの督促状出しますよ』信頼関係で結ばれた顧客へ経理に勝手に動かれては、私の営業としての信用丸つぶれ。
しかし、これが何か月も入金無く最後は倒産の憂き目に何社も遭った。私の場合、現金であったからまだ金額は少なくて済んだが、これが3か月手形や台風手形での支払いになれば、とんでもない金額になる。バブル崩壊後、地元の広告代理店が何社も倒産した原因が手形にあった。『この仕事を受けないなら、これまでの借金払わないからね』。脅しである。営業は月々の売上と利益を出して評価されるので、売掛は『見たくない、発生する仕事でどうにか相殺される』と思っている(思いたい)。
しかし、どうにもならないことが多い。見たくない、知りたくないものはいずれ襲ってくる、しかも雪だるま式に利子までついて。たくさんの社員が路頭に迷った。同じ案件を持ちながら倒産をしなかった企業もある。自社ビルを持っていた企業である。それを担保に借り入れして危機を乗り切った。中小企業なら自宅を担保にお金を借りて返済したオーナーがたくさんいる。最悪、自宅を取られても生きていける資産はあったのだろうけれど。見たくないものは、できるだけ大きく目を見開いて、知りたくないものは心臓を強くして、勇気をもって(真実に接近するのには勇気が要る)生きたいものである。臆病な自分であったから特にそう思う。『見たくないものは見ない、見えないものは存在しない』と思う癖を戦前の大本営やマスコミは合唱して、国民を洗脳してきた。それが現代では消えたのかどうなのか。

広告マン。
売掛金の未回収や自分のミスによる汚点は知られたくも無いし、思い出したくもありませんね。かつては営業先の倒産で2000万円もの被害に遭った事は有りましたが、どうにもならなくて引きずりながら長年嫌な思いをしました。結局何の解決も出来ませんでした。お金にまつわる問題もさる事ながら、両親や親族の介護もやりたくないし、見たくないものの一つでしょうね。でも、いずれは避けて通れないものですね。逆の立場になれば理解も出来るのですが、自分はまだまだ大丈夫と思っていても、いつか誰かのお世話に成る事も考えられます。これまでは出来るだけ避けて通っていても、いつかは避けられないのも介護でしょうね。
seto
.思い切って、もう誰かに迷惑をかけるのはしょうがない、そのときは『ありがとう』というしかないかもです。だれに対しても。威張って暴れる老人を知ってますが、せめてああいうふううにはなりたくない。
坊主の孫。
見猿、聞か猿、言わ猿、と目も耳も口も閉ざしてしまうのは、精神的な不安や恐怖から自身を守る為の手段でしょうね。しかし幾ら保身を優先しても問題は解決する訳では有りませんね。嫌な事は早く片付けて心機一転と行きたいものですね。言うは易く行うは難しですが。
seto
話は変わりますが、昨日『精神科は、今日もやりたい放題』(医者が教える、激越ながら大切な話)PHP文庫 内海聡さん。精神科はほぼ詐欺師の集団と言う本で、薬の大量使用で、子供も大人も大変なことになっている話が薬の具体的な製品名を入れて書いてました。精神科医が書いた精神科医批判です。読んでみてください。うつ病や発達障害、ADHDも。躁うつ病も。