ポートピープル
ポート・ピープル(今と昔)・棄民
北アフリカのリビアやアルジェリアから、豊かな欧州を目指して、難民船がイタリア到着目前で沈没、たくさんの犠牲者が出ている。
ちょうど、私が読んでいた「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三朗VS大澤真幸・講談社現代新書)に同じようなことが書かれてあったので紹介する。少し長くなるけど。(同書276p~277p)橋爪大三朗さんの言葉。
「新大陸の発見は、大航海時代をもたらした。でも、大航海と言えば、中国人だって(イスラム教徒の宦官・鄭和の船がアフリカまで航海している・・筆者注)、イスラム教徒だって、航海の能力をもっていた。問題は、航海の能力ではなく、新大陸に移住する動機を持っていたかどうかです。なぜキリスト教徒だけが、新大陸に大挙移住したか?それは、旧大陸でいじめられたから。宗教改革は、キリスト教にふたたび亀裂を生み、不寛容と宗教戦争を引き起こした。戦争では、勝ち組と負け組ができる。負け組は居場所がない。ポート・ピープルになって新大陸を目指すしかないんです。旧大陸でそこそこな暮らしができれば、誰が好き好んで新大陸に行きますか?だから中国人もインド人もアラビア人も、新大陸に向かう積極的な動機を持たなかった。キリスト教徒だけがその動機を持ったのです。」
日本でも人口増加で養いきれず、南米移住という棄民政策があった。一時期、中高年を中心にオーストラリア初めマレーシアへの移住を促進する通産省発案のシルバー・コロンビア計画があった。リタイアライフを海外で暮らしていただき、できるだけ国の税金使用を減らす目的だが机上の空論に終わった。お金をかけた贅沢なパンフレットを作成してずいぶんお金をかけていたが、捨てられた。税金を捨てるだけでなくて、この国は平気で国民を捨てる癖があるので油断も隙もありはしない。その先導をしているのがエリートと呼ばれる霞が関の官僚たちと株主配当に振り回される無能な大企業に多い。沖縄も敗戦直後もそうだったし、中国や旧ソビエト連邦も棄民を民族ごとにたくさんもした。スターリンもシベリヤ開発の奴隷として寒冷地へ送った。
私の住む北海道への開拓移民も没落士族を中心に、ロシアの脅威に備えるための移民で、士族と村全体がごっそりやってきた。そして故郷を懐かしむように、ふるさとの祭りや方言を細々と伝えている。徳島の阿波踊りも後志の仁木町(NHKドラマ・マッサンの余市の隣町)に入植した阿波団体が踊りを今も保持している(蛇足だが、筆者の出自も徳島県鳴門市ムヤ町で石材屋であった)。
朝鮮戦争では、済州島が北の共産党シンパが多いということで、韓国の李承晩政権から虐殺に遭い、済州島民は九州を経由してたくさん日本へ逃げてきた。多くは大阪のエリヤに移住している。無力な民衆は、陸路ならば難民になり、海をうまく渡れれば移住だ。
いじめられ、さげすまれた人は居場所を求めて移動する。食べるためだ。生き続けるためだ。エジプト時代も、モーセに引きつられてエジプトを出て行った。奴隷としていじめられたからである。堪忍袋の緒が切れた。命がけの旅に出る。メキシコ国境も同じだ。昔、ベルリンの壁で東から西へ逃げようとしてたくさんの人が銃で殺された。
都市も難民化している。荒れた故郷を片目で見ながら(見えるのに見えないふりをして)今住む街で仕事をしている中で、ネオンと喧騒に酔っているようにみえる。私には、都会人も難民にみえてしょうがない。「何か面白いことはないかとさまよっている若者」(石川啄木)「どこか美味しいグルメはないか」と探している、時間つぶしの虚無感が漂ってくる。都会もポートピール化しているかもしれない。みんなで沈めば怖くないと。この虚無感が、未来を志向できないネット右翼の感情に流れている気がする。それは、戦争を知らない(勉強をしない)今の政治家たちにも共通していることだ。
流浪の民(ポート・ピープル)
大阪の人には申し訳ないが、大阪が嫌いになったのには都会特有の人情味の無さや、自己利益のために他人を利用する情け無さなど、若い自分には耐えきれない思いが限界線を越えたからでした。当時は飛行機運賃も高嶺の花、青函トンネルなど無い時代。上野経由で青森へ、そして青函連絡船でした。不安な未知の土地への移住でした。目的地札幌で住まいを探して6畳一間のアパートで最初に架けられた言葉「おばんでした」???で、なんだか温かくなったものです。
seto
よく北海道へ来ましたね。いま淡路島から日高の静内に入った洲本の人たちの移住の話『静かな大地』(池澤夏樹)を読んでますが、船に乗り、港で停泊しながら日高まで来るのですが、最後の一隻が風雨で転覆、たくさん死者が出ました。陸路で安全に着いたのは明治から見るとラーッキーですよ。御一新で武士が刀をクワに持ち替えるのですが、北海道移住は、基本、棄民です。夢を持って渡るのですが、政府や官僚から見たら棄民です。満洲も、南米移住も、カリフォルニア移住も、ある時期金持ち老人をコロンビア計画と称して海外で暮らせとプランを出して、マレーシア移住が流行りました。アメリカもヨッロッパで食えなくなった人々の逃亡先ですよね。同じことが全世界で現在起こってることです。歴史は繰り返しています。
seto
ポートピープルを書いていて、道産子は元々『ポートピープル』だなあと思ってます。着く港が小樽が多いけれども、函館や室蘭の良港や近くの浜辺に停泊して小舟で陸まで運んでいたみたいで、ここに来るまでに難破したり、すし詰めの船内でたくさんの仲間が死んでいます。アメリカへの移住も実際は命がけで、仲間たちが死んでいる訳で、現在、生きてる人は生きてる人の子孫なわけで、生きてることは膨大な死者・犠牲者に支えられてる気がするのですよ。自分たちの日々の生き方を彼らが見ている気がします。年齢を加えたからでしょうか。