退屈について(4回目)
仕事は自宅でできればそれに越したことはない。
退屈なので消費する。消費する動機が退屈だからする、ずいぶん日常の暮らしに余裕がある科白ながら、物を買ったり、レジャーに行く動機を正直に現している気もするのだ。しかし、退屈だからテレビを見る、退屈だからメールでもしてみるかなど、退屈という気分は人間の行動の大きな部分を占めている。
イベントがあるから行くのではなくて、退屈だからイベントへ行くのだと考えると『退屈という気分』が『行くぞという意思』を超えている気もする。そして、消費の嫌らしい本質が、そこに物語を付けて戻ってくることだ。それを語ると次の人に伝染する。
『あそこのシュークリームは絶品。いままでの人生で最高のシュークリーム』だと有名ミュージッシャンが語れば、それがあっという間に拡散する。HPが無いことがかえって消費や購買を過熱させる。地元のテレビ局やグルメ雑誌も無料で書いてくれる。お金を取る広告はノーサンキューだ。原材料(ある町の乳牛から搾乳されるミルク)に拘れば作れる商品の量は制限される。夕方の4時からしか開店しない不思議な店だ。https://www.facebook.com/choucerclehokkaido/なにせ、ススキノの中にあるからね。そういって私も宣伝隊に組み込まれている。そして食べたが、平凡な味であった。道産子ならどこにでもある味だよねと言うと思う。
退屈だから選挙でも手伝うかなどと思ってその熱気に当てられて、当選したときの快感が忘れられず、麻薬を打たれたような高揚を味わう。選対に関わった人から聞いたことがある。選挙は非常時の出来事、日常に飽きた人々がお祭りやカーニバルで散財して熱狂するのも日常の平凡や退屈を忌避するためで、それを組織的に組み込んでいる世間。退屈な王様(皆、かしづくからつまらない)が道化師を身近に置いたのもうなづける。イエスマンばかりは疲れるので夜の逆転世界に行く政治家や企業経営者や大学教授たちの心理も似たりよったりだ。
あらゆるスポーツ、戦争、祭り、政治、映画、演劇、各種飲み会、競馬をはじめ賭け事、議論(討論)。退屈な日常を避けるために作られた巧妙な装置かもしれない。国会中継などは役者不足の下手な芝居に似ている。こういう茶化しのブログも筆者の退屈の仕業かもしれない。同じ穴の狢(むじな)状態だ。
でも考え方では、ひとりだけの退屈は一番の贅沢かもしれない。他人を巻き込まず、とりあえずその日は食べていける食品と銭があり、部屋の酸素を吸いながら生かしてもらっている。ぼんやり、昔の仕事の成功や失敗を思い出したり、死んだ同僚たちとの会話を思い出したり、急に書棚に走り、気になる1行を確認しに行く。明日は札幌で営業のお手伝いが終わったら、下戸ではあるが熱燗を一口、酒好きな彼を誘っておしゃべりしよう。
ギャンブルも退屈だからはまっていくのかもしれない。29歳の営業マンでありながら、毎日毎日4円パチンコをして、パチンコ代金も給与の前借をしてATMで下ろしていた。筆者に昨日3万円負けた・幾ら勝ったと報告をしていたが、本業の営業は大嫌いで『早く60歳になって年金をもらいたい』と言っていた彼!仕事をしないので退屈な毎日を過ごしていた彼はいまいずこ。
昔の少年。
これまで退屈しのぎの物事に囲まれて過ごしてきたのに、今では、どこも閉店や閉館、休業、運休、すべてが奪われた今、行くところはスーパーでの買い物くらいですね。店員やスタッフはマスクにフェースガード姿、カウンターやレジには透明ビニルカーテン。しかも私たちもマスクや手袋をして、人と人の間隔を空けて並び、無言で歩き、手指の消毒をして無言で帰ると言う具合で、規制と抑圧感の中で我慢比べのような毎日ですね。友人や知人に会いたくても会うのを我慢しなければと思う理由は、症状は無くても自分も保菌者かも知れないと言う思いがあるからですね。できるだけ接触を避け、会話も電話やメールやSNS以外は極力避けて不自由な生活が続いて居ます。この退屈な、毎日をしのぐには、自分一人でできる趣味や家事くらいですね。この際、普段は嫌って居た掃除や料理や、暑い夏に向けて網戸の張り替えでもしましょうか。
seto
早めに抗体検査をしたいですね。私はすでにコロナウィルスの抗体を持っていますという証明です。これを首から下げて堂々とどこでも歩きたいですね。マスクなんてしないで。これから札幌へ行きますが、陽性患者を見るとほとんど病院と老健施設とデーケア及び職員で、病院側の疲労とマスクや医療用の防護が足りない、スマホなど持ち歩かないなど(これにウィルス付着する)など基本的な知識がないまま右往左往している様子がうかがえます。横浜停泊のダイヤモンドプリンセス号に乗り込んだ感染症の医師、岩田健太郎さんの本に書かれていました。防護服の横をスーツを着た職員がいて議論している。ゾーン分けを最初にする、危険と安全地帯と分ける。病院感染の多くがたぶん、プリンセス号と同じようなことが起きていると推理します。防護服も着ることと脱ぐことを訓練しないとむつかしいとも。