この世界ではどんなことだって起こりうるのだ(1Q84 村上春樹)
天吾と青豆が1Q84の世界から1984年に戻るとき、地上とつながる高速道路に出る狭い非常階段を二人で登る、無事に着かないと永久に1984年の現実には帰ってこれない。1Q84の世界へは高速道路から非常階段を降りて入っていったから、その逆を行けば戻れるかもしれないと青豆はひらめいた。階段をのぼりながら『この世界ではどんなことだって起こりえるのだ』と村上春樹のト書きがあった(新潮文庫 6巻369p)平成22年に発行された長編だ。この世界ではどんなことだって起こりえるのだ。仲がいい同士がまさか殺し合わないだろう。しかし、連合赤軍事件や仲間のリンチ殺人。ヨガで解脱して静かな暮らしを送るかと思えば空中浮遊をして信者を増やし金を集め科学的な洗脳手段を発明して盲目な集団を作り上げたオウム真理教。お面をかぶって選挙運動もした。アノニマス(匿名集団)になれば恥も外聞もない。聖書のヨハネ黙示録を模したのかハルマゲドンを信じて、みずから起こした地下鉄サリン事件。村上春樹は『アンダーグラウンド』で被害者ひとりひとりの取材を開始した。被害者は自分であったかもしれずたまたまそこにいた彼や彼女であっただけだ。
不安産業はいつの時代や世界でも興隆を究めるもの。占い・自己啓発セミナー・新興宗教・熱狂的なアイドルへの埋没・異常なまでの健康志向・寛容を失っているにも関わらず自分は寛容と思っている人々。不安ではない人々の暮らしや雇用、信用のできない政治家や官僚たち、せめて信じ合いたい家族の中も夫のテレワークと子供へのごはん作りと育児で倒れそうになっている主婦&テレワーク。
香港も大変だが、狭い横浜のマンションで3歳と1歳の子供の中の育児とIT企業で3月にアメリカモンタナ州から帰国し、しかも持病を抱えるAYAOは狂いそうであると娘からの電話。あんな元気であったAYAOの身に何があったのか。全州、モルモン教徒の聖地ソートレークシティーがある。幼稚園から大学まで娘同様可愛がっていたのに。詳しくは聞けない。
この世界はどんなことだって起こりうるのだ。
広告マン。
実は我が息子も東京で働いていましたが、地下鉄サリン事件の当日、同じ路線の一つか二つ前の電車に乗っていました。今では北海道に戻っていますが、東京に比べれば平和と思っていたのも束の間。何と新型コロナウイルス感染拡大では、東京をも凌ぐクラスター感染数になってしまいました。自然が豊富で空気も水もクリーンなイメージの北海道も今やバイ菌扱いです。温泉も豊富で食べ物が美味しいとの、観光誘致も、飲食関係も、すっかり影を潜めてしまいました。緊急事態宣言解除となっても、悪いイメージは、なかなかぬぐい切れないでしょうね。こんな事態になるとは?雪まつりまでは誰が想像したでしょうか。元に戻れる非常階段(解決策)があれば?いいですね。
seto
解決は時間しかないですよ、きっと。北海道、そんなにイメージ悪くないです。札幌周辺だけんですが、地図では真っ赤になります。いずれ食糧難が確実に来ますから、北海道への移住は増えると思います。バットと蛾の幼虫で小麦が根こそぎやられます。現在、インドを横断中で中国に入りますから。コロナとバッタと蛾の3重苦にはいります。このあたりアメリカが小麦の供給を止めると中国で餓死者出る可能性あります。このへん報道してませんが,ストーリーとしてそうなります。
seto
地下鉄サリン事件を起こした電車と同一の路線、しかもひとつふたつ前の電車に乗っていたとは、すごい経験で、ぞっとする話ですが、日航機事故でも偶然事故機をキァンセルして助かった人もいました。人間の運命はさっぱりわかりません。とにかく偶然の持つ意味が深いですね。何か理由づけしても偶然は偶然で説明しようがありません。
広告マン。
実は、日航機事故の件も私でした。東京出張で日航で予約していたのですが、仕事が立て込んでいて、どうしても一日ずらす事になり、翌日朝一番の全日空に予約し直したのでした。事故の事も知らずに家に帰ると庭の桜の木が、家内の手で切られていました。「どうしたの?」と、「ニュース見た?」。そこで鳥肌が立ったのを覚えています。それ以来、家内には庭木は絶対に切るなと言っています。
seto
父さんも、息子さんも事故にかぶってるとはすごい家族です。縁起の木って我が家にも『幸福の木』が2mに成長して床の間に置いてます。雨降りは外の出して葉を洗います。これがあると割ることが起こらないらしい。
広告マン。
その「幸福の木」にも関係していました。私が28年間務めた広告代理店の東京本部の制作部の男は変わり者で、遊び好きでした。或る時、いつものように有給休暇?とか取ってハワイ諸島の或る島でのんびり遊んでいたのですが、或る植物が切っても切っても生き返る事を知って、遊びに来ている筈が仕事の癖で、突然閃き、早速その木を短く切って手紙を添えて東京本部に送ったそうです。当時は日産のケンメリのスカイラインなども担当していたらしく、早速パッケージも考案してノベルティに提案したそうです。彼はそれだけでなく、コーヒーの成る木、お金の成る木など12シリーズを作りました。中でも「幸福の木」はベストセラーで各企業から声が掛かり、全国いたるところで見かけるようになりました。彼とは本支店会議で会うくらいでしたが、遊びながら考え、仕事をする姿勢に影響を受けたものです。
seto
遊びがないと仕事、長く勤められません。公私を分けるのは愚の骨頂で、そういう生き方しかできないのは時間売り少女でしょう。ヒラメキ次々の社員がいて良かったですね。私の前職にもそういう人材いましたね。地下鉄待つ間、推理小説・探偵小説ばかり読んでました。彼のお兄さんは極東で大やけどをしたコンスタンチャンを治すべくへりこぷたーを飛ばして札医大に送り、基金を創設した人です。兄弟とも生き方のふり幅が大きいです。身近にこういう人がいるといい影響受けますね。