「死の壁」(養老孟司)に山本七平さんが、自身の戦争体験を踏まえて書かれた本の引用があった(49p)。帝国陸軍は「閣下のために死ぬこと」を前提にしていた。果たして、昭和天皇は「生きて還れよ」と思っていたかもしれないが、藪の中である。生きて還れなら誰も戦争では死なないはずだ。


ともかく、いまも「死を前提にした人たち」は、「自らを生きながら死者と規定している人間集団」なので、法律や常識や世間知は全く通用しない。やりたい放題をできる人たちになってしまう。怖いことである。死者ならば生者の世界から規定を受けないと思い込んでいるからとんでもない事件を起こす。近くは大阪池田小学校殺傷犯人、宅間守。早く死刑にしてくれと言って早期に処刑した。


戦争とこういう個人のメンタルと同一には論じられないが、アメリカの銃による大量殺戮発砲事件も最後は射殺されて終わる。彼らも半分死者の仲間かもしれない。テロリストの訓練も「死を前提にした人たちだ」。いつのまにか洗脳されて、爆弾を巻きつけたり、自動車ともども人混みに入りスイッチを入れる。子供まで利用される。


先日、札幌市の自殺対策会議で、精神病院の経営者が「現代の風潮として死を美化する文化があるのではないか」と指摘していたことを書いた(3月1日のブログ)。私も営業時代、自身孤立した時代があって「私がこのセクションを命かけて守る」と密かに思って2年頑張って心臓病で倒れた。誰しも孤立するとそういう気分や精神状態になりやすいものである。これは男女や年齢に関係ないと思う。


政治的な疑獄事件が出ると必ず「重大秘密を持つ(知る)」脇役人間の自殺事件や他殺事件が発生するのも、誰かに「命がけで守る」ものがある場合だ。しかし、女性は羨ましいほど少ない。現実的に考えれば生き延びる方向にチェンジできる女性は多い。「男ってバカよね」と言わんばかりである。


このブログを長々と書いた理由は、実は「引きこもりの男性人」の平均年齢がどんどん上がっていってること。詳しく調べたことはないけれど、40代や50代でも親の年金と貯金を当てにして生きている「男性」が多いことが心配なのである。たぶん、何度かどこかの企業で短期間であっても労働をした経験はあるとは思う。「自分を必要としていない社会」に全体に「恨みや復讐心」が醸成されていなければいいがと危惧するのである。


顔対顔の会話ではなくて(これなら表情が読めたり、発言のブレーキが利きやすい)、メールや電話だけの会話に慣れると怖い。「いつ死んでもいい」程度の気持ちで生きられると相当まずい結果が自身や家族や見知らぬ人へ被害が及ぶ可能性が高いのではと思う。

  1. 死んでもいい!と考えたのは若かりし頃でしたね。メコンデルタの米海軍の物資輸送艇に乗ろうか?と考えたり、滑降コースで死んでもいい!と決めて30度もある急斜面を滑り降りたり、無茶な長距離運転を試みたりと、今では考えられない思考や行動をしていましたね。家庭を持ってもしばらくはその延長でしたが、40代くらいから仕事にも熱が入り、少し落ち着きましたね。しかし今度は50代になって管理職の責任あるポストに就くと胃潰瘍やら精神的な抑圧で心不全に成ったり、倒れたりしましたね。死んでもいいと思っていた筈の自分が今度は死にたくないと考えるようになっていました。今日まで無事に生きているのも、何度も有った死の分岐点を、何とか潜り抜けたからなのかも知れませんね。

    • 私の20代はベトナム戦争への反対運動時代です。私は新聞社の特派員になりたかったです。現場から命がけで記事を書いて日本へ送る仕事をsたかったからです。カメラマンの澤田教一さんの『地雷を踏んでサヨウナラ』にショックを受けました。作家開高健も戦場記者をしてましたね、反動で後半の人生は釣り三昧になりましたが。しかし、私も結婚して暮らしを立てないといけないのでしたくもない営業(他人はお前に合う仕事だと他人事で言います)で40年、いまも続いているわけです。死に物狂いで外回りをしてきて20代30代40代を凄し、49歳で心臓で倒れました。無事に生還してブログなんぞ書いてるだけ幸せ者かもしれません。これは他人には伝わりません。『おお、おまえ苦労したんだな』で終わります。私に限らず、長生きしている人は言葉で表現していなくても苦労は皆さん、しているのです。病気や家族や金銭や仕事や職場で。

  2. ゼロ戦パイロットの弟。

    親に内緒で豊島師範を自主退学し、予科練に志願し霞ヶ浦で飛行訓練を経て、各地の飛行場や空母を転々としながら海軍航空隊で戦う訓練ばかりに明け暮れた、親子ほど歳が離れた我が家の長男は、終戦と同時に復員して疎開先の田舎の我が家に戻りました。お互いに顔も知らない同士の兄弟でした。もちろん死を覚悟して自ら志願したので誰のせいでも無く選んだ道ですが、背も高く、学問も優秀で、バスケットが得意なスポーツ万能の青年が何故?死に直結する道を選んだのか、今の時代では考えも及びませんが、当時の時代そのものが若い心を戦場に駆り立てたのでしょうね。同じ時代でも、父親は戦争から逃れるためにいろいろと考え、家族を守り抜きました。その差は歳の違いだったのでしょうね。しかし二人ともお互い本心では人を殺める性格では無かったのではと思いますね。復員後の兄は人が変わったように?(元々の性格?)音楽や芝居にバスケットに夢中になって居ました。今は他界しましたが、激しい時代を経験した父母や兄や姉たちに比べれば、私が経験した苦労など比べようも無いような気がしますね。

    • 戦争体験者はもう生きていて90歳を超えてしまい、映像や親からの聞き取りでしか生の声(果たして他人に届くかどうか)が効けなくなりました。ゼロ戦パイロットの弟さんは、お父さんのお兄さんについて詳しく履歴を記憶している訳ですから大事にしてほしいと思います。私の父は戦争の話は全くしようとしませんでした。満洲へ渡って鉄道会社へ勤務して戦場へは行ってないみたいでした。それでも引き揚げ時にロシア兵から時計や万年筆を奪われたことは母に言ってたみたいで、子供を大陸へ置いてきた親たちを見たと言ってました。そういう子供たちが中国人に育てらたんですね、餓死した子供もいたことを思えば、なんと贅沢な時代に私たちは生きているんだろうとつくづく思います。

  3. あの池田小学校の池田市の五月丘の高台に私の職場のアトリエがありました。アトリエの大先生の娘も目と鼻の先の池田小学校に通っていました。事件が起きたのはかなり後で直接の被害者にはなりませんでしたが、身近な事件として忘れるこちが出来ません。あれ以来、どこの小学校も防犯に力を入れるようになりました。我が家の近所の小学校に小6の孫も通っていますので行く事がありますが、玄関はオートロックでカメラ付きインタホンで確認して初めて入れて貰えます。また職員室にはサスマタが数本用意されていました。子供たちは非常ベルのついたGPS機能付きの見届けツールをランドセルに下げて登下校しています。それでも通学路に不審者が現れたりしていますから、集団下校できない時には車で送り迎えするようにしています。いい大人が発達障害なのか?異常者や不審者は夏に特に多く、幼児や女性の外出も要注意です。異常者や変質者や不審者に聞くワクチンも必要ですね。

    • 池田小学校での殺傷事件ですね。宅間という男で、名門小学校なんですね。ローンウルフたちもそうですが、思想的な背景はありません。ある日突然の暴発が大きな事件になる時代になってます。アメリカでの学校や大学での銃乱射事件、ダンスパーティー会場やサッカー会場での乱射もね。後付で『こういう理由が考えられる』と言いますが、たぶん『自分以外が幸せそうに見える』ことへの妬みと解釈したほうがわかりやすい事件の多発です。

  4. 死を美化する風潮は日本の腹切りや決闘や仇討など武芸から来ていますね。現代では刀はご法度ですが、何とアニメの世界では大流行ですね。刀剣乱舞や鬼滅の刃など正に殺し合う事や死を美化したりしています。戦闘ゲームやアニメで刷り込まれた知識から間違いを起こさなければ良いのですが、若い未成熟の心には、多分影響はあるでしょうね。

    • 子どもたちのストレスをうまくかわすストーリーなんでしょうか?読んだことはありませんが小3の孫がき鬼滅の刃に凝ってます。おばけのQ太郎でも読んでくれればいいのですが。おそまつ君でもね。他人への共感や情緒を育んでくれればいいのですが。

  5. 死を覚悟していたのでしょうか?京都アニメの大量殺人事件の犯人は大やけどでしたが生き残りました。あれほどの恨みを晴らすのに無関係と思われる若い人たちの命を奪う事を想定の上の犯行なのでしょうか?主張を通すなら別の方法も考えられなかったのでしょうか?。精神的に追い詰められると人は人では無く鬼になるのでしょうね。

    • 21歳のときに、私の家を訪ねにきて、私が用事があるからと断った同級生が自宅に帰って、牛乳を飲むとき発作を起こして急死した事件がありました。すぐに駆け付けたとき、彼の顔は『鬼の様相』をしてました。般若です。一瞬、恐怖を覚えました。そうか、死にたくない死にたくないともがく顔が鬼顔を作ったのだと思いました。『鬼』って実在するのです。しばらくすると穏やかな顔になりました。京アニメの痛ましい殺戮事件も犯人は『他人が幸せそうに生きている』ことへの妬みと嫉みから起こしたローンウルフ。アメリカでは射殺されてしかるべき人ですね。それを税金で病院で皮膚移植して治そうとするんですから遺族は二重の苦しみを受けますね。

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