江戸時代の労働時間と現代の労働について(投稿原稿)
産業革命の後、現代人の労働時間が激増したと言われています。
人力の代わりに蒸気機関を使うようになったのだから、
労働時間が減るように思いますが、事実は逆で、これはパソコンやワープロが
登場した時も同じようなことが起きました。
例えば社外の和文タイプに出していたな文章作成を、社内でできるようになりましたが、
パソコンの製造、プログラミング、pcやソフトの販売、メンテナンスなど、
それまで必要のなかった仕事が次々と生まれ、
社会全体としては、書類1枚を作るまでにかかる人数、時間が激増したそうです。
増加する世界の人口に、新たな仕事を生み出したのが
IT化の最大の功績であるという人もいます。皮肉かもしれませんが。
では、昔の人の労働時間がどうだったかと言うと、江戸時代であれば、
大きな藩に仕える武士は、月に1回登城すればよく、それも顔合わせ程度で
帰宅していたそうです。それ以外の時間は釣りをしたり、芝居を見たり、
酒を飲んで過ごしていたということが、元禄時代の武士の日記に書いてあります。
江戸の庶民も似たようなもので、例えばシジミ売りは朝河岸でシジミを仕入れ、
朝食に間に合うように常連宅を回って歩いて、売り切ったその日の仕事はおしまい。
あとはブラブラして過ごしていたようで、まれに、時間があるからもうひとつ別な売り歩きを
するような人は、蔵が建ったとか。
そういう人物も働くのは夕方までで、夜は行灯の油がもったいないので寝てしまいました。
江戸時代の1日は時間の余裕がたくさんあり、
その時間、ボーツとしていたのではなく、ものを考えていたのだとしたら、
日々その場しのぎの思考停止をしている現代人は、
その思慮の深さにはとても追いつけません。
現代になってからも、一家の団らんも夜なべ仕事も、裸電球1個で間に合っていたのが
人工衛星からでもわかるくらいビル中の照明をつけ、空調をかけ、パソコンを操作し、
冷蔵庫に入れてある栄養ドリンクを飲みながら、
家にも帰らずに残業するようになってしまいました。
そうやって稼いだ金の一部は、間違いなく電気代に支払われるのだと思うと
現代人も本当は頭が悪くなってるのではないかと思うことがあります。
広告マン。
家内はタイピストでした。それも1級ですから、務めていた際には秘書、結婚して子供が産まれてからはフリーでタイプの仕事をこなしていました。その頃の僕はと言えば、万年筆を使い達筆?な企画書を作成していましたが、大きなプロジェクトの企画書が舞い込み、家内にタイプで作成をお願いしました。手書きと違い立派な出来でした。子育てと毎日の仕事ばかりで疲れていた所へ、無料奉仕の僕の仕事をネジ込もうとして諍いに成り「それなら自分で打つから!」とタイプに向かったのですが、何と一行打つのに30分も掛かり断念しました。当時の広告制作で文字部分は写植業者さんに外注でしたからタイプのキーを打った事がなかったのです。やがてワープロが登場して自分でも打てるように成りましたが、重い機械を下げての出社は大変でした。その後PCの小さなIBMのノートブックタイプを購入しましたが使い物に成りませんでした。誰もが徐々にPCに向かい始めてから今日で約30余年。今では誰もがすっかりタイピストになってしまいました。
昔の少年。
昔を、と言っても半世紀ほどの昔ですが、たしかに時間にはゆとりがありましたね。歩いたり、自転車で通学したり、釣りをしたり、友達と集まって騒いだり、と時間を十分に使えた記憶があります。ところが今では次から次へとやる事だらけ。落ち着く暇がありません。4連休にも家事に明け暮れて過ぎました。買い物、草刈り、大工仕事など足腰が痛くなるほどでしたね。合間にPCを見ようかと思えば来客で落ち着かない連休でした。今日から通常のサイクルに戻りましたが、PCばかりの作業ですが、この方がむしろ落ち着くのは?なぜでしょう。
匿名
果報は寝て待て。と昔の人は言いました。そんな良い事はありませんね。バタバタせずにゆっくりとゆったりとのんびりとしていると仕事が発生するなら、その方がいいですね。しかし、今日も、根回しの為に午後からのクライアント会議に出席して持参する資料作りに精出している私です。
seto
果報は寝て待てのことわざも、それまでの人間関係があってはじめて生じるのでしょうね。寝て待っていても、そのまま寝てしまう人が多いと思いますね 無駄な営業ばかりしてましたが、ある時期に電話があって仕事が発生したことは数度ありましたが・・・・。