子どもの成熟について鷲田清一さんと内田樹さんの対談本『大人のいない国』36pから。親を含めて学生や社会人で成熟していない大人が急増している背景に、彼らが育った家庭環境について述べる。父親と母親が違った考え方で統一されていない方が子供の成熟に資する、葛藤をその子に与えるからだ。両親が同じ価値観で子供を追い詰めることがあっても(私立の○○へ進学とか○○企業がいいとか)そこに彼の叔父とか近所のお兄さんやおじいちゃんが『そんなことないよ。どこへ行ってもお前なら生きていけるよ』と後ろ押しする人間がいたら、長い目でみたら選ぶ幅ができて、成熟度を早めるかもしれない。

ふりかえって自分の子ども時代は母親は自由放任、学校任せ、父親は子育ては妻に丸投げ。そんな中で育った(育つというよりも生きてきた)のでテキトーばっかりだ。私の周りはそんなたくましい同級生ばかり。彼らの家に入れば、冷蔵庫を漁って食べ物を見つけて食べてしまう習慣もある。『行儀よく振る舞うのは西区の子どもたちだ』なんて言ったりしていた。さすがに大人になってそれはなくなったが、悩み事はほぼ友人たちで済ませた。お金に関しては親が関わってくるが、当時の高校・大学の授業料は安いし、中学のクラスメート50人で大学まで行くのはせいぜい10人の時代だ。しかも全員男ばかり。貧しいがゆえに両親がお前はどこそこへ進学とか就職せよとか、どこでもいいから働いて自分で稼ぎなさい程度だ。貧しさが自立を促していたともいえる。

その貧しさも周囲も貧しいから貧困感が薄い貧しさの中で、今だから言うが安心した貧しさだ。経済もいよいよ上向きで正社員募集はどこにでもあり、正社員での勤め先は当たり前であったから暮らしに困ることも少ない。

それが子供も少なく、親も育児書や子供をどう育てるのがいいかとか進学就職の知識でお母さんの期待度が上がり、自分の子供時代のことは忘れてしつけ、父親を巻き込んで子供を追い詰めると子供に逃げ場がなくなる。逃げ場がないと自分で考える時間と空間を奪ってしまう。『核家族でも、両親が連帯するのが最悪の構図』で時間の経過とともに、子供からカウンターパンチ(引きこもりで復讐)を食らう可能性もあるから他人事ではない。両親にこそ成熟が求められてるようにもみえるのだ。

  1. 放任主義の親も困ったもので、非行や引きこもりや登校拒否などにも繋がりますね。適度に親子のコミュニケーションは必要でしょうね。昔は放任主義の様で、実はそうでは無かった気がします。親に反発して中学卒業と同時に全寮制の高校に入ったのですがその時点で親のありがたさが身に染みて分かったのです。経済的には非常に貧しくてお金の面での援助は期待できなかった分、自力で生きて行こうとアルバイトしたりしました。でも、離れていても両親が居る安心感はありました。その後都会に出て親との距離は離れていきましたが、そうなったのも実は成長期の自分に、知らず知らずのうちに自立心のようなものを芽生えさせる教育?をしていたのではないか?とさえ思いますね。4人の兄姉たちを見ていても、問題も抱えながらも自立していましたね。皆んな親に何かの形で恩返しをしていました。子供は親の思い通りには育たないのが常でしょうが、成長期の親子のコミュニケーションは、各家庭でそれぞれ違っても、大切ですね。

    • 放任主義はいいものですよ。そのかわり,社会常識から離れるのでびっくりされることも多々ありました。お参りができない、神棚へもどうしていいかわからない、退屈なとき華をほじくる、食事のハシの動かし方も右手の小指と薬指の2本で挟んで食べるのでびっくりされる。食事の仕方で育ちがわかると言われますが、ダメですね。さらに母譲りの野菜嫌いをまともに踏襲していて、食べ残しが多いので嫌われます。たまに勇気を持って食べるけれど長続きしません。なんの干渉もされず育つと私のような人生になるのでしょうか?娘がそっくりな人生を歩んでいますよ。

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