人間の体は、血液にしても細胞にしても、皮膚にしてもほぼ1年でがらりと変わってしまう。皮膚は下から新しい皮膚細胞が盛り上がり、垢となって風呂場へ消える。古い血液はどこにいくのだろうか?たぶん便として吐き出される。
心臓の筋肉も新しくなるというから、私が50歳のとき心筋梗塞を起こし、発見がヤブ医者のおかげで一日遅れて、ほぼ30%の心筋が壊死したが、専門医に聞くと「壊死した細胞は細胞分裂は起きない」とのことで20年が経過した。階段を上り下りすると息切れはするが、なんとか心臓の機能は果たしている。肝心な大脳細胞も細胞分裂を繰り返して、ほぼ1年ですっかり入れ替わる。(とはいえ最近は疲れやすい)
ということは、去年の私といまの私はすっかり、肉体が入れ替わっていて別人ではないかと思う。去年、ある金融機関から借りたお金は「去年の私が借りたので、今の私は大幅な細胞分裂で別人になっているのだから返す必要はない」とも極論では言える。しかし、これを認めれば、経済や国は成立しない。どんなに細胞分裂で何度も私が新しい自分になっても、同じ人と同定されることになる。
動的平衡の福岡伸一さんファンの人なら、この話が彼の著作に何度も出てくるから覚えておいでのことだろう。しかし、私がどうしてもわからないのは、こころとか精神とかはどうなっているのだろうかということだ。考え方や価値観や好き嫌いが肉体的な細胞分裂の繰り返しで、どのくらい変わるものなのか。また変わらないのか?
結婚のときのことを思い浮かべると、釣るまではエサをたくさん撒いたが、釣ってしまうとエサはやらないのはきっと私の細胞分裂のせいで、私が変わってしまったと言えばいいかもしれない。何でも細胞分裂に原因を求めると、自分の意思はどこへいくのだろうか。要は私は私のまま、生まれて死ぬまで、変わらない私だと言う幻想が歴史のどこかで入ってきたと思えば妙に私は納得する。そういう風にした、そういう制度にした。私は変わってはいけないのかもしれない。不自由な私である。
ときどき、自分の意識や観念の世界から、「自分が出れれば、脱出できればどんなに解放感を味わうだろう」と考えることがあるが、無理だ。夢の世界さえ現実が出てくるわけで、自意識の中でそれぞれが暮らしていると納得するしかない。自分の皮膚の中から出ることはできない。出ようとあがくのが芸術なのかもしれない。絵にしても彫刻や小説も、作り手が自分を表現しようとする以上に自分から出ようとしているように見える。
養老孟司さんが一日5分でも10分でも自然を見なさい、花を見たり、空を見上げたり、地面の虫を見たり、作物を手に取ったり勧めているわけは、意識の牢獄から瞬間的にも出て自然に入ることの大切さを言っているのだ。
人間の体はその年齢分の回数、入れ替わってると思うと不思議な感慨に襲われる。実はその答えは、一番上の図に回答がある。言葉や記憶や文字というツールが自己同一性を担保しているらしいのだ。特に記憶がキーマンだ。記憶もずるくて都合の悪いことは脇に置いてしまう傾向もあるから要注意だ。選ばれて記憶されていることも多いから客観性から遠い。主観の塊だということは覚えておきたい。


道理で?最近家族がすっかり離れてしまったと感じていたところです。都合の良いところだけが家族で、私も含め?そのほかは別人同士ですね。好き勝手なことばかりで、むしろ世帯主の私は疎外感さえ覚えます。それもこれも皆が成長過程(つまり細胞変化)で何度も何度も変化を繰り返している結果でしょうね。知らず知らずの内に、蝉や蛇と同じように、脱皮している訳です。
脱皮しているという表現がぴったりですね。私は特に脱毛ですが。家族から見ても、坊主の孫さんが年々変わったのでは?と思ってるかもしれません。お互い様です。6歳のころの自分の写真をみてまさか、いまのような私になるなんて想像できません。面影が残ろくらいですが、この面影が基本の私にあるDNAなのでしょう。と思ってます。
「まるで別人のよう?」とか「あの人に限ってそんな筈が?」とか言う場合がありますが、詳しくは実は、あれは別人そのもの、なんでしょうね。戸籍謄本やマイナンバーカードなど証明書様のシステムを作って個人識別はしていますが。進化の次に退化をして行く人間も含めた生物や植物には同じ日々は無く、毎日毎日、その時々で、多かれ少なかれ違う表情や形が有るのでしょう。地球でさえ活発な細胞分裂(地殻変動)を繰り返して生きていますからね。
たぶん、昨日と同じあなたでないと困る人がいるのでしょう。私なんていやいや演技をしているようんものです。しょうがない、同じ私でいるか!とね。昨日、覚えていたことも忘れて、ひどいときは隣の家の名前も忘れます。脳細胞もどんどん破壊されてます、新たに脳細胞ができているという学者もいますが、そうであってほしいですね。昨日、電話で5人の知人とおしゃべりしました。書くよりおしゃべりが脳の活性化にいいようです。そのことに気づきました。相手も楽しそうで電話を放しません。会話に飢えてるんです、みんな。
脳細胞だけは成長期に増えた後はそれ以上増えず、20代前半からは毎日数10万個ずつ死んでいくそうです。だからノーベル賞を取るような人は、それまでに基本アイデアだけは思いついているのだとか。その後は、減り続ける脳細胞をつなぐネットワークを増やすことで機能低下を防いでいるので、中高年は新しいことを発見するより、既存の知識の応用や関連付けが上手くなるのだそうです。実用新案の出願などは、けっこう高齢者が多いです。
18歳、19歳が大脳ピークらしいですが、大脳の中のネットワーク機構で思考やアイディアがつながり、新しい工夫や発見があると思いたいですが、大したこともなく月日が流れています。大脳が一番喜ぶの戸外の散歩かもしれません。酸素の補給と目から入る刺激がいい影響を与えるような気もしますね。思いつきも生まれますよ。
毎週、金曜日に我が家に「柴犬」が来ます。日曜日の夜に返すのですが、その間の早朝の散歩は私のルーティーンになりました。早朝の犬の散歩?ではなく、犬に引かれて散歩させられています。今まで早朝の散歩などした事が無かっただけに新鮮ですね。この犬「散歩!」と言うだけで尻尾を振ってきます。散歩の後は誰も起きてこないリビングのソファの私の横にピッタリ座ってギターを聴きながら寝息をかいてしまいます。猫は飼っていた事は何度かありますが、何故か犬は飼ったことが有りません。しかし犬も大好きで農場で飼っていたデカいシェパードでも直ぐに手なずけたりします。犬語が判らなくても、ふれあいでコミュニケーションを取れるので、人間よりもいち早く仲良くなれますね。引きこもりがちの子供も、人間よりも、犬とは大の仲良しですよ。皮膚同士のふれあいで脳も活性化するのでしょうか。
我が家の息子も登校拒否気味になったことがあります。しかし真っ先に帰宅したとき、愛犬コロのお腹を撫でてストレス発散していました。犬が彼の心の友でした。亡くなった後もコロの写真をテレビの前に置いているそうです。犬の散歩でたくさんの愛犬仲間とも付き合いが増えて、いまでも近所付き合い続いています。犬は外交官です、子どももそうですが。