1)1944年9月、中国山東省の村で日本軍が『華人労務者移入方針』に基づいて800人の男たちを数珠つなぎにして青島港へ連行、6日間暗い貨物船の船底に押し込められて門司港に着いた。そのうち200人が汽車に乗せられ青森へ、さらに4時間の船旅で函館に着いた。さらに一日汽車に乗り、雨竜郡の炭鉱(明治鉱業)に来た。その一人が劉連仁(リュウ リェン レン)。結婚したばかりで妻は妊娠7か月。仕事は石炭を掘りだすこと。一組9人で一日石炭列車へ50車分を棒くい、鉄棒、ツルハシ、シャベルで掘り出すことだ。ここから便所の汲み取り口から汚物まみれで脱出、14年間に渡る北海道での逃亡生活が始まる。『穴にかくれて14年』(欧陽文 新読書社刊)。茨木のり子『鎮魂歌』に詠まれていたので札幌市立図書館に貸出し依頼を出したので、読み終わったら再度、感想を書かせてもらうことにする。南は長崎軍艦島(三菱)から北は紋別の鴻之舞金山(住友)まで資源エネルギー開発にほぼ只に等しい中国人や朝鮮人を連行して、稼いできた財閥群だ。リュウ リェン レンは1958年、札幌に近い当別町で猟師に発見された。日本語で唯一覚えた『イダイ イダイ』を連発したそうだ。祖国が勝ったことは知らず、中国人の通訳が食べたいものを注文して、『熱いうどん』を食べだすと心がほぐれてきた。東京に来て、村に残した妻が夫の帰りを子どもとともに待っている知らせを受けて涙した。(以上は茨木のり子さんの詩から読み取れた事実を列挙)

2)ブログを毎日書きだして7年4か月になる。始まりは2013年3月18日。難しいのはネタ探しだ。無いときは再録ブログで多少の普遍性がありそうな話題で逃げている、ご容赦を。

3)男はずっと仕事があれば続けたほうが楽しい人生が送れるかもしれない。楽しいという意味は充実の時間が結果として持てるということ。大事なのは現役から友達を準備すること、大切にすること。話題を豊富にしておくこと。誰もが知ってるテレビや新聞、ネット話ではなくて、あなたしか持てない話(生の友人の口から出た)を持っていると『あいつは、何か違う話をしてくれる』ということで会ってくれる。とはいえ肉体やそれを支える細胞は確実に衰えるから歳をとることでいいことはない。そう思ったほうがいい。私が少年のころに流行った「命短し、恋せよ乙女」の切実さがよーくわかる。

  1. 外国人を労働力として強制連行した話は今の世代には理解できないかも知れませんね。石炭も鉱山でも発電所のダム建設でも、道路整備でも、究極は収容される鑑別所の建設までさせていた訳ですから日本人もまるでナチスと余り変わらないですね。そんな過去の最悪の事実が現在までの外交に蟠りを残している訳ですね。恨みは生涯消えないでしょうし、残虐な仕打ちはいつまでも言い伝えられるでしょう。過去に起こした歴史の汚点はいつまでも消せませんね。

    • 残酷な他人への暴力は消えませんし、次世代に言い伝えられて、さらに教科書で文字化されて歴史を記憶を残し続けるわけですから、消えません。加害者が忘れたい、記憶を消そうとしてもそれはこちらの都合でしかありません。労働者不足、特に肉体労働について、今日、詳細な記録が残ってますが、それとて一部。スペインやポルトガルから始めた奴隷貿易がアメリカの南部の綿花製造にアフリカからたくさん連れてきたのでした。北海道開拓も土地が欲しい、貧しい貧農たちが藩ごと、集落ごとやってきましたが、安く使える労働力として囚人に目をつけた高級官僚がいたわけです。それはいいアイディアだと承認をもらったわけです。

  2. ブログもたまにはお休みしては如何ですか?。膨大な読書量でネタには困らないでしょうが、バイオリズムも有りますから、書きたいときに書き、気が進まない時には休む方が長続きするのではないでしょうか。確かに毎日切らさず続けて投稿する事は大変ですし、たいていの人は出来ません。その点は凄いと思いますよ。もう一つ提案ですが、毎日の文章を極端に短くすればもう少し負担も軽くなるのではないでしょうか?余計なお世話でしたね。

    • 適切なアドバイスありがとうございました。加齢とともに文がくどくなってる。もっと短く適切にを心がけます。いま平均1000文字から1200文字で読むほうも大変だと思います。相手のことも考えたブログになるようにしたく思います。8月5日の熱帯夜はパソコンの前に座るだけで汗がタラタラです。

  3. 友達と言えば若い頃の方が楽しかったですね。バカを言い合ったり集まって喋ったりしているだけで何故か楽しかった気がします。バンドの仲間も居ましたし、プラトニックな恋愛も有りました。歳を追うごとに年々付き合いも減って来ましたね。しかし、そんなに沢山の友達が居ても、今のコロナ禍では簡単に合う事もままならないですから、今は友達が少なくても何とか毎日を過ごしていますが、一体いつまで続くのでしょうね。この不自由な世界は?。この最悪状態の根源は人間の仕業なのか?それとも自然の悪戯なのか?原因を再調査して世界各国で、もう二度と起きない仕組みをお互いに真剣に考えなければ、末は人類滅亡ですね。それにしても、私たちが子供の頃はもっと不潔な暮らしでしたが大病にもならず皆んな元気でしたね。皆んなが抗体を持っていたのでしょうか?

    • きょう函館から帰ってきましたが、函館在住の知人と10分あってきました。これで十分伝わります。コロナがどうなるか、いつまで続くのかですね。ホテルの朝のバイキングはビニールの薄い手袋をはいて料理選択でした。ますくして手袋して、なんだこれはと思いました。ウィルスは自然発生(人為説もある)で観戦爆発は大都市の過密化と格安航空券による大量の人の移動でしょうね。その証拠に近所の農家のご主人はマスクをして畑には出たことはないと言ってます。子供たちへいい未来、希望のある世界をのk世相にはありませんね。自分が囲まれている狭い世界でのみ賢そうですが、その周り、さらにその外まで想像力を働かせて生きる人は少数だと思いますよ。でも世の中は必ず、少数の人間が変えてきました。そういう人が身近にいたら応援しましょう。多数に流れる世界は必ず失敗します。そう世界の歴史をみて感じます。変革は奇人変人からです。

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