福澤諭吉の1万円札 紙幣番号1番

福澤諭吉の故郷大分県中津市で日本銀行大分支店主催の「冬休み特別展示」があった。「昭和・平成・令和 諭吉とお札の40年」だ。来館者に1億円を持たせてくれてその写真も娘から送られてきた。1億円の重さは10キロであった。私も1度、訪ねたことがある。一番最初の刷りだしの本物の1万円が玄関の正面に飾ってある。番号はA000001Bだ。現在は何番の万札を刷っているかわからないが、紙幣の紙は幼いころ、四国で採れるコウゾ・ミツマタが原料だと教わったが今もそうなのだろうか?それとも樹木の伐採で樹種が変わり、海外からの輸入材が主原料なのか。造幣局が大阪にある理由は、四国に近いからなのか?展示物として、紙幣の肖像が使われた期間の一覧表があった。聖徳太子と福澤諭吉は同じ期間であるのがわかる。39年10か月だ。夢中で働いた自分のサラリーマン生活が福澤さんと重なる。売上が足りない=諭吉さんの紙幣が足りない。倒産した=諭吉さん行方不明。

ところで1億円が10キロ。下記の写真が1億円の現物らしい。イベントではなく自宅に置いてみたいものだ。1億年を持ったら何をしようと考えるだけで楽しいものだ。金融機関に預けないでベッドの下にでも置いておくのがいいかもしれない。一束1000万円をとりあえず出して、ビニールを破ってここから1枚づつ使ってゆくはずだが、考えていてだんだん虚しくなってきた。足元の現実を見よう。



妄想族。
一億円と言わずに十億円でも手に入れば、その時、オタオタせずに冷静で居られる様にエクセルで使途一覧表などを作ってPCのデスクトップに保存してありますが、こんな夢がかなう事も無いのでしょうが、ロトなどで、もしかしてと、その時には旅行に使う車の付いたスーツケースを用意して銀行に出かける事にしています。一億で10kgもあるなら丈夫なアルミ製にしなければいけませんね。それ以上で余りに多いと一度には運べませんから数日銀行通いする事になるでしょうね。そのまま銀行に預ける手もありますが、どうも気が向きません。なんて夢のような事を時々考えています。妄想ですが。
seto
スクラッチを買うときは最大100万限度のくじを買います。PCに置かれた10億円の使用先、見たいものです。それを書いてください。ぜひブログ公開させていただきます。「私の描く10億円の使い方」。それに反応して次々と読者からコメント寄せられれば面白いです。当たったときのために、普段から用意しておかないと、驚いて心筋梗塞や脳梗塞を起こしますから、健康維持のためにも「使用用途一覧」は必須です。
広告マン。
印刷物を扱っていますから、だいたいの重さは想像が付きますが、紙は重いですね。毎週のようにDMを車に積んで東雁来のマンモス郵便局の道央札幌郵便局に運びますが、元旦に入れたDMは乗用車で一度に運べない量と重さ二度に分けて運びました。これが紙幣ならまだ運び甲斐もあるのかも知れませんが、紙の重量で下手すればサスペンションも壊れるかも知れません。いくらネット時代とは言え、DMはまだまだ根強いメディアです。お札も然りクレジットや仮想通貨もささやかれる昨今ですが、現生(ゲンナマ)はまだまだ無くなりませんね。形あるものの信用性でしょうか。
seto
昨日も寝るベッドの下に1億円を置ければ、心配事の50%は減ると思いました。どうにもならぬのは老化と健康。私もチラシやDM、新聞を運びましたが、指を切りましたね、紙で。痛いし。印刷会社で輪転機見ましたが、スピード凄い。お札もああやって刷られるのだとしたら、破損事故の紙幣(わけあり煎餅ならぬわけあり1万円札でもOKです)を貧しい人たちに配るというのはどうでしょうか?しかし、1億円がポンと送られてきたらどうしようと頭が大混乱を起こすこと必死です。〒ポストを歩道側に置いているんですが、妻との会話「誰か10万円、投げ込んでいない」「きょうもいないわよ」。貧民の会話です。
坊主の孫。
人の上に人を作らず。人の下に人を作らず?の張本人が貧富格差の象徴のお札ですからね。鼠小僧でもいなければ我々には円だけに縁の少ないお札ですね。入っても行き先は既に決められていて手元に滞留せずに右から左です。