コメントと返信 1月17日 病患はキリスト教徒の・・・・

私のブログにコメントする内容と私の返信を機会を見て掲載しようと思った。開放的な図書館で思いついた。返信の中にブログを書きたいテーマもあるがうまくまとめられないので生のまま出します。
コメント ほとんどの行いが狂気ならば、正気とは一体何でしょうね。宗教や政治やビジネスに関与せず、スポーツや芸術にも手を染めず、集団に属さず、ただじっとしている事でしょうか。昔は海外に進出して富を得たりしましたが、現代では富を得た者たちが宇宙旅行体験をしたりしていますね。あれは正に狂気以外の何物でもないように見えますね。宇宙ステーションなどと聞こえは良いですが内部は悪臭漂う空間での長期(短期も)滞在で、皆が同じく「地球は青かった」ですね。無重力空間から帰還した途端に筋肉の衰えからか、両脇を支えられながらの歩行です。まるで浦島太郎よろしく一気に年老いてしまったかのようです。宇宙開発は一見平和活動にも見えますが、SFやアニメから受ける宇宙の印象は戦争ですね。宇宙からの地上攻撃も宇宙空間での衛星攻撃などを連想させます。ギリシャ神話の神々が棲むはずの宇宙も人間の気の紛らわし行為の為に、とうとう暴かれてしまいましたね。自然界の中で罪深いのはいつでも我々人間たちですね。
返信 とは言っても、宇宙はまだまだ未開です。おっしゃるとおり、正気や正常は架空の概念かもしれないと思ってます。それはたぶん、自分自身が保持しているヤバイ感情や異常な自分の性向や傾向を隠すために、他人や外の世界の異常と思える事件や人を論評してるダケ、熱中して我を忘れたいところに自分を置きたい欲求から出るのかもしれません。アルコールを飲むことや麻薬やッコカインの服用も「現実から逃げる」には最適なグッズだし、好きな芸能人を追いかけたり、スポーツファンになって酔うのも似たり寄ったりだと思いますが。何ごとにも熱中しないという狂気も一方にあるので(哲学をする人に多いです、すべてを対象化しようと身構えている人たち?)。狂気と正常は紙一重でどんな人にもあります。「まさか、あんなおとなしい頭のいい人があんなことをするなんて信じらない」。事件がその人のアイデンティテーを露出させます。じっとしてればいいということではなくて、動けば他人(家族や配偶者・子供・隣人・仕事仲間・恋人・学友・通勤すれば乗客、歩けば歩行者)が必ずいますから、そこで必ず大小関係なく事件が起きます。事件を犯罪と考えないでください。会話するのも事件だと思ってください。事件がないとその人が現れません。そこにその人のアイデンティテー(自己)が出ます、自分でないもと(人)とぶつからないと自分が出ない理屈です。「免疫」と似ています。新型コロナ(事件)が社会の矛盾や制度や人々の隠れていた感情をあらわにしてきたのに似ています。自己は非自己によって自己になるのでしょう。