SFの中で生きているような気分になる(2020年3月19日)
SF映画の中で生きてるような気分になる。
新型コロナウィルスの渦中にあって、筆者持病のパニック障害が全然出ない。いつもの自分でなくて落ち着いている。通勤のJR電車が空いているということもあるし、観光客が激減して静かな札幌に戻って、10代の頃の幸福感を追体験してみたりして落ち着く。しかし、現実は新型コロナ。テレビニュースはできるだけ見ないようにしている。見ているとアナウンサーがしゃべる報道部の記者が書いた原稿に具合が悪くなる。ネットで世界のニュースを拾って広い視野から見ようとしている自分がいる。まるで世界をSF映画のように見ている私だ。自分は通行人Sで参加している。
書棚にあった免疫学者の故多田富雄さん『生命のまなざし』(青土社)という本を見つけ、ウィルスの話はないかと探したらありました。医学ウィルス学の日沼頼夫(よりお)さんとの対談があった(同著178pから)。日沼さんはATL(成人T細胞白血病)を起こすレトロウィルスを世界で最初に報告した人だ。ATLはエイズウィルスに似ている。ATLは血液のがん、エイズは免疫不全である。どちらにしても痴呆にもウィルスが関係しているとすれば、電子顕微鏡で見ることができるウィルスの正体っていったい何だ?ウィルスの大きさは塩の結晶1辺に横に1000個並ぶ。そして1日で1個が1000個に増殖する。ウィルスは生き物だという人もいれば非生物だと言う人もいる。
日沼さんの言葉を借りると『私はウィルスは生き物であると、はっきり定義します。しかし、それは欠陥のある生き物なのです。なぜかというと、それ自身で勝手に増殖できる生き物ではないのです。ウィルスは生きた細胞の中に潜り込んではじめて、それを借りて自分の子孫を残すことができるのです。ウィルス自体では二つの重要な装置を持っていません。タンパク質を合成する装置も、エネルギーを生産する装置も持っていないのです。しかし、それにもまして、ウィルスの生き物としての重要な属性は、DNAという遺伝物質を持っていることです。あるいはRNAを持っていることなのです。RNAを持っているのはウィルスだけです。』多田さんはこれを『自己複製に関する情報は持っているけれど、複製をつくるときの道具がない』と言い換えてました。
日沼さんは『HIVも生物ですが、単純な生物が、人間という高等な生物とぶつかったら、今のところ人間がたじたじです。生き物というものは、単純であろうが複雑であろうがそういうことでは勝負云々はむつかしい。ネイチャー(自然)というものはそういうものなんです。考えてみれば当たり前ですが、植物も虫もみんな一緒に住んでいるわけです』。『人間なんて高級だといいながら、自分の情報の何百万の一しか持っていない生物をコントロールできるほど高等ではないんだということです』。
坊主の孫。
科学者の面白い話がありました。人間は自分自身で考え行動して居ると自負しているつもりですが、実はそうではないのだと?。一般的に少し深く考えれば『それは自分自身の脳が考え脳の命令に従って考えて行動しているのだ』と言う者も居るのでしょうが、実はそうではないのだと。胃腸内の数知れない数種のバクテリアが蠢いていて彼ら彼女ら?の中での生存競争もあってその種によっては肉に飛びつく種や野菜に飛びつく種や甘いものに飛びつく種などがあって彼ら彼女ら?の好き嫌いを脳に命令し、今日は肉が食べたいとかその日のオーダーを脳に伝えるのか?命令するかして脳が従うと言うのです。となれば我々がいかにも自身で決めていると思い込んでいた好き嫌いや食べたい物も実は体内バクテリアたちの要望に過ぎないと言う事になりますね。しかし彼ら彼女らのお蔭で食物の消化吸収により健康も維持されていると言う訳ですね。時には悪さもするのでしょうが。
seto
脳より内臓ですね、これ一番。大分へ2週間以上滞在しましたが、空気や湿度、醤油の甘さ、乱雑な博多の喧騒と汚れた空気(どんたくの田舎臭さノイベント)、元気があると言うだけで感動がないね。夕方のテレビ局のソフトバンクウルサイコール「愛過剰)、目てられません、品がないんです。などんで芸能界へとびたつ多いんでしょうね。
昔の少年。
生物と言っても、生きている物全てで、しかも種類の幅が広すぎて分類すら大変ですね。しかし人間ほど身勝手な自然破壊者は居ませんね。人間は気づかずともその犠牲になって絶滅した動植物も多いでしょうね。SDGsなどと今頃になって取り組んでも既に取り返しが出来ない事だらけです。便利さも人間の身勝手からですから自然と共生するなら我慢も必要ですね。
seto
そもそも生物を分類るする必要は人間が勝手に取りつくられてきたわです。人間の都合で分類しているわけです。