「老いの才覚」(曽野綾子)に老齢になって身につける二つの力として、利己的にならず忍耐強くなることが書かれてあった。歳を重ねていくと、ほとんどの人が他人を押しのけて、我慢や忍耐力がなくなる。利己的にならずに生きられれば、おのずと忍耐力も養われるというものだ。楽をして得も取りたい人が多い中で、老齢になると陥りがちな日常生活の傾向。それを外から今の自分を見て修正する習慣を若いときから養っていかないとむつかしい。年齢を加えて老齢になるのであるが、曽野綾子は「若くても他者への配慮がなくなったら老人なんです」とも言う。

曽野綾子は老化度を測る目安を「くれない指数」と造語した。「友達が〇〇してくれない」「配偶者が〇〇してくれない」「娘や息子が〇〇してくれない」子供から見たら「親が〇〇してくれない」を言い続けると老化を早めるということで若者も気をつけたい。

一番、かっこいい生き方は昔から「お先にどうぞ」とか「自分のことは後にする」と決めていて、浪花節の世界のようだが、これって普遍的。映画「タイタニック」で主演のディカプリオが浮き輪を近くの人に渡してみずから沈んでいく。1954年9月に洞爺丸台風があって、青函連絡船「洞爺丸」が港で沈んで、1,139人が死んだが、中に牧師さんが乗っていて、「これどうぞ」と浮き輪を渡して自ら沈んでいった。世界中でこういう話は実はたくさんあって、生死の極限という状況ではなくても、レジの並ぶ順番や病院でのマナーにも言える。日常の積み重ねでしか生きられない私たちなので、結果的に老齢になっても若いときからの積み重ねが出ると覚悟したほうがいい。

習慣や癖は治そうと思ってもすぐに元の木阿弥になる。私は退屈になると右の人差し指を鼻に突っ込む癖が取れない。どこでもやっているらしい。兄も妹もすると妻から言われて、これって母親もしていたかもしれないと連想した。笑ってしまう家族である。笑える癖ならいいけれども、大げさだけど、将来、犯罪に向かう傾向の癖なら若いうちに直したいものである。それは、家庭の中から始まっている。

青函連絡 摩周丸の機関室 函館にて筆者撮影
  1. 無くせ七癖。人には七つほど悪い癖があるんですね。良い癖ならまだしも悪い癖には注意した方がいいです。自分では中々気付かないものなのでしょうね。他人から指摘されれば腹が立ちますが,身近な家族からなら受け入れやすいですね。特に男親なら娘からズバッと言われればショックだけど聞き入れるでしょうね。家族と言っても若い娘からのクレームは効き目抜群です。その点、男児ばかりの家族の場合は危険ですね。父親のやる事を良い事ならまだしも変な真似をしてしまい,そのまんま社会人になれば本人は気づかないけれどリスクは大きいですからね。早く七つの悪い癖を見つけて直しておきたいものですね。

    • 娘からの苦言はいつもきついですね。忖度なしですから。癖はしかし、その人そのもので、話し言葉も、「また出たその単語」って多くありませんか?多いのは「とりあえず」とか「つまるところ」とか、口癖ですね。TVも新聞も同じような日本画が並んで、洗脳されていないか検討する必要ありますよ。誰も話すこと自分もオーム返しになるうちに、思考の狭隘と大脳老化に拍車をかけますから注意したいところです。

  2. 「〇〇してくれない?」「〇〇をくれない?」「〇〇を聞いてくれない?」「〇〇を買ってくれない?」なんて受け身ではいけませんね。「〇〇してあげよう!」「〇〇をあげましょう!」「〇〇を聞いてあげましょう!」「〇〇を買ってあげよう!」と親しき中にもお互い気づかいは大切ですね。大雪の今シーズンの狭い道路でも遠くから待っていてくれる方もいる一方でオラがオラがと我先にと突進して来る輩も居ますね。前もって道を譲れば大抵の方ならすれ違いざまにお互い会釈をして気持ちの良い気分になります。また、先ず自分から譲り合いの気持ちを持てば、譲られた人は、今度は譲る人になるのではないでしょうか。急ぐ気持ちは分からないでもないですが、急がば回れで結果は大した時間差にもならないですね。歳をとったからと言って何でもおんぶに抱っこが当たり前ではいけませんね。今朝の新聞の書籍広告に「老人の癖を見て自分を正せ!」嘲笑的なタイトルがありましたが、あちこちから見られているのですから、せめて嫌われる年寄りにだけにはならぬよう気をつけたいものですね。

    • してあげる気持ちがどこでもあれば嫌われません。若い人に地位を譲るも大事です。車の譲り合いも大事、立場も譲り合いたいものです。政財界はこの失敗例に満ちています。富と名誉と権力は、一度味わうと離れがたいのかな?持ったことないのでわかりませんが。一方、若者は礼儀正しい男女が多いですよ。おとなしい。気になる筆者です。

  3. 忍耐が無くなると言う事は、直ぐに先行きを予測してしまうからでしょうか?。後、何年生きられるのか?とかね。明日死すとも知れぬ身となれば、いくらあがいてもムダとの結論付けなのでしょうか。石原慎太郎氏が死ぬ前に言っていましたが「死ぬまで生き、言いたい事を言い続けて最後まで憎まれて死にたい!」と。極端ですが、死ぬまで生きると考えれば少しは忍耐強くなるのではないでしょうか。瀬戸内寂聴さんも死ぬ間際まで活躍していましたし、忍耐強い人たちはどこか達観していて凛々しいですね。諦めてしまった時点で気力も無くなるのでしょう。

    • 石原は害悪を垂れ流しです。新東京銀行で1000億円無くし、築地移転の責任、五輪2回の招致で莫大な費用、ネトウヨを跋扈させた(維新や橋本徹)、尖閣諸島で寝た子を起こす。都知事に登庁はわずかな日々だけ。わがまま息子の道楽仕事ですよ。ネトウヨを流行らせた元祖ですね。要は今日を深く生きることが大事だということですね。農家の人には定年がありません。70歳80歳でも若いです。農家の仕事なら何でもきりがないほどあります。肥料の袋を腕の力だけでビリビリ引っ張り開けてました。何が大事って、肉体の力です。口先の筋肉ではありません。

  4. 八方美人で一生を終えるのもシンドイでしょうね。憎まれっ子の方が精神的にはラクなのかも知れませんね。言いたい事を言ってやりたい事をやって、他人に余り迷惑を掛けない程度の生き方は理想ですね。なかなかできませんが。

    • 生きてる限り、誰かに迷惑をかけているはずです。迷惑度でもいいますか、他人へ罵詈雑言吐いたり、決めつけたり、ネトウヨ元祖石原慎太郎がなくなりましたが、言いたい放題でずいぶん迷惑をかけましたよ。文学で衣装した右翼です。ボンボンで働く苦労なんて知らない人間で、とにかく断定で生きてきた(というのは気が弱いからですね)。橋本徹にも言えます。忍耐力の必要な複雑な言葉の回路を嫌う大衆に迎合して人気を撮っていきてきた人たちです。

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