筒井康隆「老人の美学」新潮新書 73p。最近、書店の平積みにある、孤独死本や死んでいくための身辺整理本、財産や土地の分け方や、次々、有名無名問わず出るし、売れているみたいだ。新聞の半5段週刊誌広告も題名みればほぼ想像がつく。パラパラめくると、書き手の人生観を読者に語りかけて、最後の印税稼ぎに精を出している。私を含めて周りの65歳以上の家庭を10軒くらい見ながら言うけれど、もう千差万別、どこの家も共通項は少ない。子どもの有無も違い、夫婦仲も違い、男尊女卑あり、子どもがいてもパラサイトする子供であったり悩みは深い、50代で亭主死去の遺族年金暮らしもいる。さらに重くのしかかるのが長寿の母親の存在だ。100歳を元気で超えていく。母親が札幌の中央区マンションに住んでいるので姉妹で交代で看護に行く亭主に最近死なれた奥さんもいる。ブログのテーマからどんどん離れていくが、「老人の美学」中、「孤独に耐えることは老人の美学か」が書かれてあった。「そもそも何かに打ち込むということは他人の目など気にしていにのだから、作業というものの殆どが本来孤独なのであって、これは当たり前だ。だから逆に、仕事をしなくてすむ境遇になった人の仕事は、孤独に耐えることであるといってもいいだろう」なるほど、孤独に耐えるのが仕事だと思えば納得がいく。掃除・洗濯・料理・ゴミ集め・玄関掃きなどしているとあっという間に一日が終わる。別に耐えているという気持ちもなくて自然にときを流している感じだ。

集中して何かに打ち込んでいるとあっという間に2時間3時間が過ぎている。自分が好きな作業が仕事でも趣味でもあるといい人生を送れると思う。孤独について、それがなんだか老人や流行りのおひとり様暮らしにだけ関わる単語ではなくて、どんな人にも等しく訪れる心境なのだと思えば間違いない。

NY特派員で赴任して、右も左もわからず孤独に陥るも、後に朝日新聞天声人語を書くことになった辰濃和男さん。「ぼんやりの時間」(岩波新書 165p)。「孤立感とか疎外感とかいうものは、それにひたればひたるほどさらに深みにはまってゆくものだが、なにか熱中するものができて、それが楽しいものであればあるほど、孤立とか疎外とかいっていたものが、どうでもいいもののように思えてくる」作業というものに熱中して、我を忘れて好きなことに打ち込む、そういう時間を持てればいい人生を送れそうな、何十年も先に滋養になるはずだと思いたい。それで大事なのは、他人の集中している孤独を破ってはいけないということだ。

  1. 仕事が無くなり、する事が無い毎日が続くと想像すると怖いですね。そこで、これまでの仕事とは無関係な趣味で時間を潰しても長続き出来れば良いのですが、当然ながら身体を使う菜園や軽スポーツにも年齢的限界が有りますから、その他にも動かずに出来る何かを探さなければいけませんね。私の場合は長年封印している下手な絵画でしょうか。それとも、これも下手な短歌くらいですかね。しかし果たしてその場になって肝心の脳が正常に働いてくれるか?は疑問ですが。

    • 6月半ばに白内障手術終えたら、働かせてくれる会社を見つけました。「手術終わったら電話ください」と言われてます。ありがたいことです。退屈と暇は「魔物」になったり、宝の山の時間になったりするので、若いときから一人で遊ぶ癖が趣味でもあるといいなあと思いました。絵画や短歌、思い立ったら吉日、筆を持ちたいものです。圧倒的に近所は野菜作りと散歩のおじさん多い。飽きないのは育てると作ることですね。ヒマワリを3本買って、同じ鉢に植えたら葉が枯れてきて、慌てて1本づつ庭に植え返しました。窮屈だったんでしょう。NHK連続ドラマ再放送「ひまわり」が来週から始まるので記念ですね。達郎さん、主題歌歌ってますから。

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