Tokyo 0m

私たちの暮らしは、ライフライン(水や道路・電気・ガス・車)があたりまえと思って生きている。水洗トイレもあってお尻に温水が当たって快適な排泄も行っている。しかし、これは現代の世界では普通ならざる日常で、何もない暮らしをしている人間の方が世界で多い。

倉本聰が思考の上で「海抜ゼロメートル」を追体験しようと言うのも、東日本大震災の3.11が大きく作用していたとは思う。以前から「生きる」基本、「生き延びる知恵」、「自然と相対する」「食べ物を作る・育てる」「木を植える」など発言してきた。人類の祖先が樹上生活からサバンナに降りてきて(人間もよくサバンナで生きる動物たちに食べられていたり、狩りをされていたから集団化しないと生存できない弱い生き物だ)、家族をつくって集団で生きのびてきたのであって、「人の生きる知恵」はたくさんの他人の死とか病気などから学んで、あの動物は危ない、あの食べ物には毒があるなど、次世代へ伝えられてきたのだろうと思う。

熊本震災で車の中で寝泊まりする人々を見ていて、雨が降っても屋根があり、水道水の蛇口があり、電気があってテレビやパソコンが使えて、決められた時間に電車やバスが来て、乗れば職場があり、決められた日に給与が金融機関に振り込まれて、口座番号をを知っている市役所・生命保険会社・信販会社が「待ってました」とばかりに自動的に有無を言わせず引き落としていく日常生活である。

それが、一瞬に絶たれるのだ。電気がなくなればATMは休止、交通も走らず、失業するかもしれない。「最悪のことを想定してどうなる」「そのときはそのとき」と言う人も多い。果たしてそうだろうか。東日本大震災・福島原発メルトダウン・熊本地震、これだけ人類史上の大災害が超狭い列島で続いていて、平地も少ない急峻な川も多い土地で起きているのである。まだ全然、三つとも終息する気配はない。

TVをつければ辛い現実を忘れろ・・・と言わんばかりの番組パレード。これこそ電波の麻薬である。テレビを捨てたある人が筆者に「いやあ、ストレスが無くなった!」「自分を取り戻せるよ」と言っていた知り合いのエンジニア。とっくに新聞も捨てている、ゴミ出しが楽になったよと。「ニュースはグーグルニュースで済ませている。疑問あれば英語圏のニュースサイトを読むよ」「身近な話題は近所の友人・知人に耳から教えてもらう」。

思考の上の海抜ゼロメートルへの発進は、既存の持ち物を一つずつ捨てていくことから始まりそうだ。私にもその用意はあるか。いつ死んでもいいように、その準備だけはしているつもりだ。

  1. 生き物の寿命のように、物にも寿命が有りますから、自然淘汰され消滅するのですが、次々と新しい物や事に惑わされて買い込んだりするものですね。何でも一生物と決めていれば無駄な買い物もせずに済むのですが。資源ゴミが増えないような耐久消費財の開発も必要ですね。

  2. 考えてみれば私たちの幼少期は野蛮な遊びや悪さもしたり、遊びも自分たちで考えたり。その反面、親や隣近所の大人たちの野良仕事や力仕事や炭焼きなどを直に見たり手伝ったり、思い荷物は車ではなく荷車で曳いたりと、原始的な方法で暮らしていました。水洗トイレなんて有る訳もなく、水道は谷水を引いて来たり、井戸のツルベに西瓜を入れて冷やしたり、冷蔵庫代わりでした。物がなければ人は色々と考えて工夫するものですね。田舎を離れて都会暮らしをするようになって、それら不便な暮らしを忘れてしまいましたが、辛うじて頭の隅っこに経験として残っていますから、災害や有事にはきっと役立つのでは無いかと思いますね。しかし、そんな実体験も、せいぜい我々の年代までですね。至れり尽くせりの今では、必要以上に便利すぎて考えなくなりました。

    • 便利過ぎると便利さ消えると必ずパニックになります。関東圏が一番危険ですね。電力も実は今年の夏、東電は超節電体制を構えています。東北電力(北海道電力含む東日本)と中部からの電力補給を期待して計画を立てていますが、エアコン需要、スマホはじめIT関連の電力など。ランプとろうそくの暮らしに慣れる訓練は必要かもしれません。井戸水はどこへ行けば飲めるとか、多少汚いトイレでも使用できる不衛生に慣れるとか,トイレットペーパーなくてもチラシや新聞紙でお尻を拭くとか、昔の少年さん、おっしゃるようにサバイバル教えないと弱弱し過ぎる子どもたちです。抗菌製品の氾濫で人間の免疫力や抵抗力が弱くなりました。TVCMで抗菌の害を訴える必要ありますが真逆です。

Leave a Reply to seto Cancel Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です