
17世紀の人でパスカルより10歳年上のラ・ロシュフーコー公爵。格言集がよく読まれていて、その中にある格言だと思ったら、「著者が事情があって後に削除した」格言(マキシム)。「人は好んで他人の心中を見抜こうとするが、自分の心中を見抜かれることは好まない」。17世紀と言わず、SNSの現代こそ図星の俚諺ではないだろうか。「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」集英社(138p)堀田善衛より。カトリックVSプロテスタントの確執が相変わらず続く時代、宮廷内も陰謀や暗殺が横行し、背中から剣や言葉と人事異動(突然僻地の城へ飛ばされたり、幽閉される)で左遷されて、パリの宮廷から戻れなくなったりする。世相騒然の世界であのパスカルもこう言う。「神を信じる者の犯す罪は、神を信じない者の犯す罪よりも恐ろしいものになり得る。自己を絶対化するゆえに、良心の呵責を失うからである」(同142p)
良心の呵責という言葉をどう解釈したらいいのか、行動や発言をした後、どうも嫌な感じが自分に残る経験をしたことはないだろうか?私はクリスチャンでもないし仏(ほとけ)も信じていない、お天道さん信仰くらいか。「誰も見ていないところでもお天道さんは見ているから、悪いことをしてはいけないよ」と幼いころから母親に言われた言葉が残っている。そういう人は私に限らず多いと思う。嫌な感じを残したとしたらたぶんそれが良心の呵責に近いかもしれない。誰もが良心を持っていると言った人もいるが、果たしてそうかとキリスト教圏(ユダヤ・カトリック・プロテスタント・ギリシャ正教やアメリカのキリスト教原理主義)を見ていて思う。「神を信じる者の犯す罪は、神を信じない者の犯す罪よりも恐ろしいものになり得る」。16世紀、ヨーロッパがアフリカや南米、インド、東南アジア、カリブ、太平洋の島国に信仰の普及と称して(現代、自由と民主主義の連呼に似ている)、武器を携えて侵略していった16世紀。それが莫大な富をローマカトリック、スペイン王室、ポルトガル、イングランドにもたらした。その財よ、いまいずこ?誰が何に使った?一覧表を経時的に見たいものである。
ヨーロッパはロシアを含めて実は、その根本に「強奪と殺戮を内に秘めている文明かもしれない」。それを見抜かれないように、狡猾に外交や侵略をして世界を翻弄している。
人は好んで他人の心中を見抜こうとするが、自分の心中を見抜かれることを好まない。なぜ、公爵はこの1行を削除したのか?彼の父、フランソワ5世はルイ13世治下、自分の城の中ではカトリック(領民や臣下はカトリック)、外ではプロテスタントで通していたというから、「見抜かれるのは命に係わること」だったからかもしれない。どちらからも狙われる存在だった。
