北海道は二つの島が合体、雑感。
次のイラストをみてください。北海道は下記の通り、左右の島が合わさってできているという。

次は千歳市埋蔵文化財センターに展示された地質図。50万年前。苫小牧・千歳・恵庭・江別・札幌東区・北区・石狩市・北広島市は海で分断されていたことがわかる。ここの海に沈殿した魚や貝や生き物たちが沈んで堆積、後々、日本経済を支えた石炭になったのである。
友人の描いたイラスト

3つの地図・イラストを見て、約4000万年前(千歳市の地図では50万年前)に合わさったということもうなづける。ちょうど白い部分が夕張山地で石炭をたくさん掘削した場所。俗に夕張・空知炭鉱の場所である。私はてっきり北海道は最初から一つの島だと思い込んでいたから、ショッキングなイラスト3枚である。これも仮説であるから、地質学者の登場を待ちたいが、この白い部分は先だって発見された恐竜の鵡川リュウの発見地でもあるし、2018年9月6日の胆振東部地震で厚真町の活断層とも重なる。ある人が、「ここに活断層があるから地震が起きるというより、地震が起きたからここに活断層があるんだと」言っていた。とうてい全国の活断層は調べ尽くせない。世界の地震のエネルギーの10%は日本列島で起きていることを熟慮したいものである。地震が起きて初めて活断層がここにあるとわかるという地震学者も多い。
そして、縄文時代や旧石器時代になると、下のイラストになる。鳥の聖域になっているウトナイ湖の成り立ちがよくわかる地図でこれも千歳市埋蔵財文化センターに掲示されてあった。先日、ここの学芸員さんに話を聞くと、縄文人の動きであるが、南の沖縄方面から北上した縄文人は一気に北海道まで来ている形跡があるというのだ。北からも大陸を伝って縄文人が来たが、それは時系列的には後のことで、津軽の海を船をつくって渡ってきたのだと。弥生人が鉄と稲作を持参して朝鮮半島から渡ってきて、縄文人と渡り合う、または交雑をすることになる。縄文人の多くは北に北に昇りまたは信州に入る、または南に下り隼人になった説もある。その結果、北と南と信濃に強く縄文遺伝子が残ったというわけだ。弥生は鉄を持ってきたから、戦争も伝えたし、農業を盛んにして格差社会の基礎も築いた。諏訪に伝わる大木を一気に落とす行事は縄文時代の習俗を伝えている。