加島祥造さんの自由訳で、表題の「空っぽ」こそ役に立つを紹介します。ちくま文庫「タオ」第11章です。
遊園地の
大きな観覧車を想像してくれたまえ。
たくさんのスポークが
輪の中心の轂(こしき)から出ているが
この中心の轂(こしき)は空っぽだ。だからそれは
数々のスポークを受け止め、
大きな観覧車を動かす軸になっている。
粘土をこねっくって
ひとつの器をつくるんだが、
器は、かならず
中がくりぬかれて空(うつろ)になっている。
この空(うつろ)の部分があってはじめて
器は役に立つ。
中がつまっていたら
何の役にも立ちやしない。
同じように、
どの家にも部屋があって
その部屋は、うつろな空間だ。
もし部屋が空(から)でなくて
ぎっしりつまっていたら
まるっきり使いものにならん。
うつろで空(あ)いていること、
それが家の有用性なのだ。
これで分かるように
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、
何もない虚(きょ)のスペースこそ
本当に役に立っているのだ。
空白を嫌う新聞、沈黙の間を嫌うテレビ。疲れないだろうか?ひとりひとりは本当は静けさや平和を求めているのに、あわただしく走りまわっている。サラリーマン時代、内ポケットから手帳を出して、スクジュールを眺めて、「手帳が埋まっていないと落ち着かないんだよ」と言う社長がいた。私は多忙なのだ、この会社で重要人物なのだと自己納得する瞬間である。テレビを見ると、沈黙を嫌う集団の電気紙芝居に思えてくる。空白に暴力を加えているようにみえる。かつての自分もそうだったかもしれない。「暴力的な人は静かな死を迎えられない」。紀元前6世紀ころにいたとされる老子の言葉の加島祥造さんの自由訳でした。


住み始めた時はスッキリして居た住居も、今や物だらけで捨てる事ばかり考えています。しかし、全て捨ててアッサリしてしまいたい反面、簡単に捨てきれないものが多いですね。いつか使うだろうとか、勿体ないと思う物は大抵は何年も使わず残る事が多いです。1年も2年も使わなかったものは、もはや不用品ですね。一つ買ったら二つ捨てるくらいが丁度良いかも知れませんね。もう一度何もなかった空間に戻りたいものです。勿体ないと、いつまでも持ち続けても、遅かれ速かれいつかは処分する事になりますからね。スッキリ空間が戻れば気分も昔に戻って爽快になるのではないでしょうか。
書棚をスチール3本捨てましたがまた本が増えています。全集は置いてあるだけで、この年齢で16巻や5巻など読める気力と体力ありません。CDもDVDもVHSのビデオもあります。LPレコードをブックオフに持っていきましたが、値段にがっくり。辞書類も場所を取って利用していません。旅立つときは何も要らないというのが大正解。すべての人がそのときが来るわけで心したいことです。暑いで畝、恵庭で27度、札幌は29度になったとか。雪が降らず、冬が来なければいいな。除雪要らないしね。憂鬱な10月11月に向かいます。現役時代はもう正月仕事にかかってましたね。