大分県中津市再び(運動会と城壁ほか余談)

孫の通う中津市立鶴居小学校の運動会を見に福岡空港へ飛ぶ。博多から大分ゆき特急「ソニック」に乗車。博多駅は大混雑、新幹線の自動販売機にも長蛇の列。田舎者の私はウロウロ。博多の街の勢いがすごい。駅構内の人混みに持病のパニックが出そうである。サラリーマン帰宅時間にぶつかってしまったのも敗因だ。小学校6年生90人全員で半纏を着て北海道の「ソーラン節」を踊るのだから驚く。音楽はよさこいソーランまつりの楽曲を流していたが、鶴居小学校では以前から「ソーラン節」を踊っているという。私が60年前に札幌の苗穂小学校のグラウンドに白線で北海道地図が描かれ、6年生全員で踊ったソーラン節を思い出して胸が熱くなった。不思議な縁だ。中津市は中津城を中心にした城下町なので、道がクネクネして狭い道路だらけ。住宅街は車2台の交差が困難な場所が多く、お互い譲り合いながら運転する。北海道の幅広い道路が恋しくなる。住宅街にも石壁が残っている。(下記写真)

中津城横に中津市歴史博物館があって、石垣の見どころ解説をしていたが、ガラスの向こうが本物の城壁が現れる仕掛けになっている。石垣の石は山国川の上流にあった古城の石を船で運び、様々な石積み集団が活躍して石垣をつくった。私の父方が徳島県鳴門市で石材職人であったので、石材の話になると興味深々である。中世ヨーロッパのフリーメーソンももとはといえば石材職人集団のギルトが発祥である。城や教会や城壁都市づくりに大活躍した人々だ。全然、話が変わるが、ここの博物館で働く女性と四方山話をしていると「息子が今度札幌に転勤辞令が出てね」とがっかりしていた。「札幌は大きな町ですよ」と言っても、はるか遠い北国の町に左遷された、島流しにあったような口ぶりであった。そういえば、東京から札幌への人事異動でも同じ心理が働いていたことを思い出した。3年4年札幌で暮らすと好きですサッポロになるんだけど。

中津の話に戻ると、この町は人口が9万人にしては病院だらけの話は前に書いた。その原因には蘭学者が多く輩出したことと長崎に近く、諭吉を生んだ中津藩も勉強熱心、隣町日田は幕府の天領地で、日本最大の私塾広瀬淡窓がいたことも大きいのではないか。3000人の塾生を生んだから凄い。中津と言えば唐揚げの町と知られているが、市民は唐揚げは自分でつくるものではなくて、自分の味覚にあった唐揚げの店を探し、買うものだという。ケンタッキーフライドチキンが最初、この街にでてきたとき、市民がさっぱり寄りつかないので撤退した有名な話があるくらいだ。味覚が合わなかった。現在は無事、営業している。

妻を中津に残して、パニック防止のため導眠剤を飲み、JALで一人新千歳へ。念のためキャビンアテンダーにパニック持病を告げると、横三列空いてる席へ誘導してくれた。さらに津軽海峡に近づくと下記のカードを渡してくれた。

2 thoughts on “大分県中津市再び(運動会と城壁ほか余談)

  • 2023年10月11日 at 7:20 AM
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    九州の歴史にも詳しいが故に良い旅になりましたね。例のパニック障害を乗り越える方法は中々見つかりませんでしたが、何と可愛いお孫さんの見えない力が一番でしたね。更には奥様を置いての一人帰還も自信になりましたね。これで、飛行機ももう大丈夫では無いでしょうか。誰も飛行機への搭乗は余り好きでは無いでしょうが、移動手段として仕方なく利用するのですが、正直言って余り気分の良いものではありません。飛び立ってしまえばさほどでもありませんが、離着陸時には緊張しますね。息子と娘が幼少の頃、二人だけを千歳から飛行機に乗せて名古屋は小牧空港で田舎の義父が二人を待って引き取るなどの経験がありましたが、自分が搭乗するより緊張したものです。それにしても九州で北海道のソーラン節?とは意外ですね。しかも小学校も鶴居小学校とは?何かの縁を感じますね。私も九州で感じた事は、全てのスケールが大きかった事でした。高校生の頃でしたが、九州から北陸に集団就職で来ていた若い女性に、学生寮が近かった事も有って枕カバーなど手作りで沢山作ってくれた事を思い出しました。お互いに親元を離れて暮らしていた事も手伝っての事とは思いますが情が深いのも九州人です。

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    • 2023年10月11日 at 10:11 AM
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      一人帰還できるカラダに戻りつつあるのも朗報です、眠剤を借りての搭乗ですが。ピーチ航空が福岡便安いのですが、さすが飛行機慣れの娘も選択しません。福岡まで2時間30~40分かかりますから。北海道の炭鉱と九州の炭鉱は同じ系列会社が多いので空知の産炭地に九州出身者が多いですよ。九州は山が多く、霊山やら古墳やら摩崖仏や山城跡地ですね。お墓参りをしたら、朝鮮から渡ってきた人々の墓碑をたくさん発見しました。朝鮮半島に一番近いのが九州ですからね。以前、岡崎に住んでいた時、トヨタ自動車工場に九州から集団就職に来ていた人が、工場のキツイ仕事に嫌気がさして辞めた人と話したことがあります。三河弁を覚えながら営業職をしていました。現在は各種の工場が各県に並んでいます。熊本には半導体工場(台湾?)が鹿島建設の施工で稼働しています。その鹿島のノウハウで千歳にできるのがラピダスです。また九州とつながりましたね。

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