筆者と同年齢のロシア語通訳の故米原万理さん著『ガサネッタ&シモネッタ』に『毛沢東の私生活』(上・下)が紹介されていて、猛烈に面白いと書かれてあった。

文化大革命の提唱や都会の知識人を肉体労働させるために農村へ送ったり、後にクメールルージュも毛沢東思想を狂信して、都市の中間層を虐殺した大事件もあった。1976年9月9日午前零時10分83歳で死去した毛沢東に主治医として22年間、そばにいて、彼の不眠症や数々の不安にさいなまれる姿や孤独。真夜中でも話し相手に呼び出される主治医李志すい(リチスイ)の冷静な告白本(暴露本)である。何度も辞表を書いて主席(毛沢東)から離れたいが離れられない。

長征に加わったたくさんの同志の農民が都会に出てきて、共産党員としてそれなりの地位についてのはいいが、金と権力の快に漂い、改革への強い志が失われていくのを見て『これではダメだ』とひとり悶々する毛沢東の姿や発言が活写されている貴重なドキュメント。身辺警護のボディーガードだけが唯一の日常的な親しい付き合いの仲間であり、いずれも若く、教育のない農民出身者でおのづと対話には限界があった。そこで、『毛沢東は私を話し相手に仕立て、自分の愛読する史書や哲学書を読むようにつよくすすめて、毎週のように何時間となく私に語りかけるのであった。不眠症に見舞われると本を読んだり、会議を開いたりした。・・・・・不眠症がいつもとりわけひどくなるのは、天安門広場で行進を閲覧したり群集の歓呼にこたえなければならない国慶節とかメーデーとかを目前に控えた日々だった。・・・・毛沢東は独裁者であった。毛の宮廷で個性を発揮しようものなら、みずから災難を招くようなものだ』(120p)

22年間の主治医生活で休暇はたったの1週間の激務であった。健康診断も大嫌い、歯磨きもしない、好きな時に泳ぎ、プールだけではなくて全国の河川に飛び込みまわりをヒヤヒヤさせる。文化大革命で逮捕された江青女史は4番目の妻でずっと冷えた関係であった。アメリカとの関係も「抗日戦争中、アメリカ合衆国は延安に軍事施設団を送ってくれた。・・・・アメリカ合衆国はまた多くの熟練技術者を養成してくれた」「君たち(主治医を含めて)はみんな英米系の学校を出たんだな。私は英米両国で訓練を受けた人たちが好きだ」(140p)。

また毛沢東は、主治医から英語を学びエンゲルスの英語版を読んでいたのでもある。好きな人物は殷王朝の誅王、秦の始皇帝や唐王朝の三代目皇帝皇宗の皇后・則天武后、隋王朝煬帝(ようだい)、ナポレオンのエジプト遠征で学者を派遣することも真似ようとしたこともある。スターリンも尊敬していた。しかし、インドのネルー首相との対談で「原子爆弾など恐れるに足りない。中国には人間がたくさんいる。・・・1千万か二千万の人間がしんだところで恐れるに足りない」とネルーへ言った。ネルーは非常な衝撃を受けた。

後年、中国国内で餓死者が数百万も死んでいるのを毛は知っているのに、そんなことを少しも意に介さなかったのである。極端なことをいえば「人口の半分を失っても大きな損失にはならないという思想を持っていたのである」(172p)シリアのアサド政権や敗戦直後の本土決戦を真面目に志向した人びと、沖縄戦へ向わせた軍人たち、現在の北朝鮮の金正恩、アメリカのトランプ。大脳の働き方に共通性があるのではないだろうか。この本の1巻目は「整風運動」から「文化大革命」へ。2巻目はどうなるか。ここまで書いたからきっと亡命するだろうと予想がつくが・・・乞うご期待。この本は毛沢東の死から始まる。寝室の描写も生々しい。絶倫である。

 

  1. 毛沢東と比べるのは多少のズレが有るかも知れませんが、スカルノにしても独裁者に共通しているのは絶倫の様ですね。多動性であり好色であり、実際の顔は小心者なのかも知れませんね。ヒトラーなどを視てもさほど大男でも無いのに周囲の取り巻きが崇拝したり異常な光景ですが、現代で言うならプーチンや金正恩なども似ています。表向きは堂々としていても実際の姿は側近にしか見せないでしょうから分かりません。多分、毛沢東のように亡くなってからでなければ真実は明かされないのでは無いかと思いますね。今はベールを被っていても、その時には人間の本性を現すでしょうね。

    • 小心者だから独裁者になるのかもしれません。大きく、より大きくね。絶倫・好色も「いつまでもおれは現役なんだ、若い者に負けてなるものか?」といくつになっても性の根源を枯らさないために生きてきたのでしょうね。たくさん女を作る人は、そういう人が多いですね。側近が割のですが、持ち上げすぎて。

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