退屈なので消費する。消費する動機が退屈だからする、ずいぶん日常の暮らしに余裕がある科白ながら、物を買ったり、レジャーに行く動機を正直に現している気もするのだ。しかし、退屈だからテレビを見る、退屈だからメールでもしてみるかなど、退屈という気分は人間の行動の大きな部分を占めている。

イベントがあるから行くのではなくて、退屈だからイベントへ行くのだと考えると『退屈という気分』が『行くぞという意思』を超えている気もする。そして、消費の嫌らしい本質が、そこに物語を付けて戻ってくることだ。それを語ると次の人に伝染する。

『あそこのシュークリームは絶品。いままでの人生で最高のシュークリーム』だと有名ミュージッシャン夫妻が語れば、それがあっという間に拡散する。HPが無いことがかえって消費や購買を過熱させる。地元のテレビ局やグルメ雑誌も無料で書いてくれる。お金を取る広告はノーサンキューだ。原材料(ある町の乳牛から搾乳されるミルク)に拘れば作れる商品の量は制限される。夕方の4時からしか開店しない不思議な店だ。

退屈だから選挙でも手伝うかなどと思ってその熱気に当てられて、当選したときの快感が忘れられず、麻薬を打たれたような高揚を味わう。選対に関わった人から聞いたことがある。選挙は非常時の出来事、日常に飽きた人々がお祭りやカーニバルで散財して熱狂するのも日常の平凡や退屈を忌避するためで、それを組織的に組み込んでいる世間。退屈な王様が身近に道化師を置いた。皆、かしづくからつまらない、イエスマンばかりに囲まれるのは疲れるので夜の逆転世界に行く政治家や企業経営者や大学教授たちも多い。

スナックのママへ入れ揚げてマンション2部屋分の金を使ったと豪語していた社長の店に同伴すると疑似家族を作っていた。ここに家庭があったんだ。昼間の希薄な人間関係を夜に回復している。ちやほやされて退屈ではない場所だが、散財しないといけない。金のかかる退屈解消だ。彼は財布に20枚の万札を常に入れておき、私の見るところわざと札が相手に見えるように財布を傾ける癖がある。なるほど、ススキノでもてるわけだ。その社長も2023年10月、前立腺ガンと診断されて、手術日、前日、自宅アパートで孤独死していた。来るべき患者が来なくて119番で病院から通報され、発見された。

退屈だから消費するに溢れている世界だ。

  1. 消費も結局は他人への自慢のネタが根源でしょうか?。海外旅行を頻繁にしているとか、グルメ通、ワイン通、コンサート通、骨董通、酒豪通、豪邸やタワーマンション自慢、高級車自慢、豪遊自慢、肩書自慢、学歴自慢、苦労自慢、とりわけ私などの自慢は貧乏自慢・苦労話自慢ですかね。消費に置き換えれば金額レートには雲泥の差が有りますが、考えて見れば金持ちにも二種類あって使わない人も居ますし、湯水のごとく使って見せる人達も居ます。使わない事で資産を温存する場合と、使う事でビジネスする人も居ますね。しかし貧乏人は細かいお金を惜しみなく、しかも無駄に消費しますね。貧乏人が無駄遣いする例ではネットやテレビショッピングやDIYで最終的にゴミと化す物を小まめに探して買い込む事でしょうか。そしてその場合の自慢は『安かったから』と。前者が『高かった』と正反対自慢で、面白いですね。

    • 自慢もそうですが、真似る行為でもありますね。あの人が買ったから、あの人がいいと言ったから、有名人の誰それが持っていたとか、その次に自慢行為が出てくるように思います。大量消費は真似る購買(商品数も少ないとよけいに拍車がかかります)が加速するときにうまれますね。いまでいうとSNSでの画一的な発言を匿名で出すのも、退屈だからコトバを大量消費することに似ていませんか?コトバを無料だと思っているのではないでしょうか?その人の言葉がそこに至りつくまでに、たくさんの時間と人生の労苦が背景にあって表現されるものですね。SNSは自慢世界、憎悪世界、ネタミ世界、嘘の告白世界、お誘い世界、自己主張世界と大別できりと思います。昔なら直接会うなり、電話で済ますことを長々、見知らぬ人に向かって発言しています。もうそろそろどんどん減らしていく必要ありますね。大事な大事な発言が埋もれてしまいます。

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