札幌駅の自動ドアで札幌に帰ってきた詩人の池澤夏樹さんとすれ違ったことがある。偶然、私のカバンに彼の著書「終わりと始まり」(朝日文庫)を持っていたので瞬間的に「サイン!」などがひらめいたが、昔読んだ、オーソンウェルズが公園で休んでいるとき、紳士ならば見てみないふりをしてあげるのがマナーという言葉が浮かんで、止めた。池澤さんは、すぐにタクシー乗り場に向かっていった。

道を歩いていても、他人は誰も振り返られないありがたさに幸せを感じたことはないだろうか。それが普通の日常生活、自分の存在がたくさんの人に知られる窮屈さや不自由感は誰でも想像できる。昼休み、仲良しとランチに出かける人もいるが、ひとりで出かける女性にホッとした顔が見えるときがある。それは、男同士でも、義理的な宴会が終わるとき、ようやく一人になれる喜びにも通じる。人間は社会的な生き物であるという物語もあくまで物語で、真実はひとりになりたいのだが、させてくれない生き物であるという仮説も成り立つかもしれない。この場合の社会的という意味は、共通の言語くらいな意味で、また家族を作ってしまったという程度で、たとえ家族をつくっても、夫婦や子供はそれぞれひとりの時間を大事にする習慣はその名残かもしれない。

何度かブログで書いたが、個人名の出てこない歴史を書こうとした人が江戸時代にいた。31歳で死去した大阪の富永仲基(なかもと)だ。昔の人は早熟だ。その意図するところはぼんやりではあるが、この年齢になるとわかってくる。歴史を内在的な連続性としてとらえる見方を提示している。個人の関与を低く見て、何か歴史を流れとしてみる。その流れに沿って決め事をしていくと思えば、個人の決断より、世間の深いところでの動きが大事になる。後の人は前の人の理論に付け加える有名な「加上の論理」だ。彼の論理を応用すれば、ひと昔前のトランプ政権の誕生にあてはめて見ると、アメリカ社会の底流での動きが決定的な要因ではなかったかと見方を変えてみる。個人名で歴史を見過ぎているから歴史の流れの判断を誤るのである。「そうであって欲しいでは歴史にはならない」。2024年の大統領選挙はまたもトランプの潮流が来そうだが、アメリカ社会がトランプ的なシンプルな相手を誹謗したり、相手に復讐したりする言語や感情を国内に撒いている。

有名になって、その世界で絶頂を究めるが、幸せな最後を迎える人って一握り。芸能界もスポーツ界も引退した後、転落する人が多い。スポーツ界は引退したあと何十年も人生が待っている。果たして普通の世間に、社会に入っていけるかどうか。スキャンダルもそうだ。

かく言う私とはいえば、妻に先立たれれば、何をするか考えると心もとない。困ったものである。子どもにどんどん迷惑をかけてもいいよという人もいるし、子どもには迷惑をかけないで、「野垂れ死に」覚悟を説く人もいる。自分たちが親を看た様に、看られることだけは真実かもしれないが、そのときが来ないとなんとも判断できない。先月、畳を総入れ替えしたので、せめてこの部屋から焼き場に送って欲しいものである。

  1. 歴史上の有名な人物像は美化されて真実からは遠い存在に祭り上げられている事が殆どでしょうね。相田みつおでは無いですが、人間だもの。もっと俗っぽい生々しさがあって当然であって美しい聖人君子象の英雄など皆無でしょうね。人間らしい生の姿は絵にならないと言う訳で映像化された映画やTVドラマを本人や取り巻きが視たとしたらどう?思うでしょうね。歴史は汚らしい部分を削ぎ落された絵本のようなもの実録とは大きくかけ離れていてそこには歴史上の英雄など存在しないのかも知れませんね。何かの拍子で有名になった人も、多少の本人の努力は有るものの、チャンスと言う偶然の産物の結果が殆どですから歴史も偶然の産物として捉える方が正解でしょうね。

    • うしろから来る人間が前をいく有名な人間を祭り上げる構造ですかね?英雄は昔はたくさん人殺しをした人です。それと有名人の二世と三世、資産を残された2世や3世も自分の人生をへし曲げられるわけで被害者ですがね。アパート経営をしていた大金持ちが、子供が教員をしていましたが、財産を引き継がせるために教員を辞めさせて、札幌に帰ってこさせた。財産は身内以外、信用しない人が多いですね。教員を続けていたら別な人生、みずから開拓した人との出会いもあったかもしれず、もったいないなあと感じます。一度だけの人生でお金だけはたんまり溜まっていきますが・・。人は逃げていくでしょう。お金目当てで集まってくる人たちを除けばね。

  2. 無名な人、普通の人にも誰も知らない物語や歴史が有るものですね。或る高齢女性の身の上話を聞く機会が有って驚いたのですが、4人姉妹の三女で両親が中学校の時に蒸発。妹と二人が親戚の叔母に預けられ中学卒業後に叔母から定時性高校に行って働いて家賃や食費を入れるよう言われ定時制には行ったものの中退して叔母の怒りを買い、戻ったら私物全部燃やされていてショックで途方に暮れ妹を置いて家出して三越の屋上で死のうかと呆然としていたら親切な北大生が心配そうに声を掛けて助けてくれたそうです。そこで体育系でプロポーションにも自信が有ったのでモデルクラブに所属して稼いだお金で東京は渋谷のモデル養成学校に入学後モデルどころかTVタレントに抜擢されレギュラー番組にまで登用され月に100~300万も稼ぐようになりマンション住まいしながら妹を観光に読んだり仕送りしたりしながらも東京で仲の良かった女性タレント友だちと貯めたお金を出しあい成城にアパートとマンションを買って仕事を引退後、札幌に戻り今度は准看護師の学校に通い資格を得た後病院勤務の傍らカウンセラーなどの資格を取り、妹を援助しながら定年を迎えたので、初期認知症の再婚して連れ合いを亡くした母親を探しあて、職業柄得意分野でお世話をしながら北海道で東京物件の共同大家をしているとの事で妹の家庭も援助しながら立派に自立しているそうです。生涯独身を通している彼女は『私は頭が悪いので』と言う反面、社会性を見事に身に着けた女性のパワーに脱帽でした。どこのどなたかは知らないそうですが、高校中退当時の自暴自棄の自分に声を掛けてくれ助けてくれた名前も名乗らなかった北大生には、今も感謝しているそうです。突然!神が現れたみたいに思えたと。お互い無名な者同士でしたが、救ってくれた今現在の彼の物語も聞いてみたいですね。私の場合、雪に埋もれて立てなかった老人を通りがかりに見つけ助けて車で自宅に送り届けた事はありましたね。世の中は無名な人達で出来ているのでしょうね。

    • 劇的な人生ですね。プロポーションは遺伝的に自分を捨てた両親の遺伝子をもらい、それがモデルへの道を切り開いたわけで何が運を開かせるかわからないものです。三越の屋上で声をかけてくれた北大生もそうですね。東京でもたくさんの周りの人との人間界もあって、余裕あれば妹さんを助けて、さらに向上心と人助けでカウンセラーの資格をとり、まったく頭の下がる生き方でこういう人生涯働き続けますね。世の中は、無名の人で成り立ってます。スーパー行くと、とりあえず名札は皆さんつけていますが、商品は回ってます、無名の人とともに。

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