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ブログを始めた年の2月に書いたもの。

このユングの言葉が、世界認識や自己認識に深く関わることは言うまでもない。昔、哲学の入り口に立ったとき、ユングやフロイトはどちらかというと文学で、どうして個人の深層心理や無意識が過去の歴史に通じるのかとか、時間の継時的な概念や事件や経済関係とどう関係するのかとか批判的に言われた。

太古の歴史に個人の心理を重ねる方法論に今でもアレルギーを覚える人は多い。「時代が違うだろう」とか「古臭い話だね」とか「精神分析手法でやられるとそれって学問じゃないよね」とばっさり切り捨てる人もいた。河合隼雄さんの努力でユングは人口に膾炙して、いまではフロイトより読まれているかもしれない。

私の好きな「日本昔はなし」(テレビ東京・日曜朝9時)は、テーマは日本昔話だけどこの種のストーリーは世界中探せばたくさんある、普遍的な人間心理を描いている。河合さんの生の声を聞きたくて、小樽市で毎年秋に開催している「日本ファンタジー大賞」授賞式に列席して、特別講演やシンポジウムを何度も聴きに行ったものである。河合隼雄さんが主賓なので、茂木健一郎・大江健三郎・養老孟司・中澤新一・谷川俊太郎・柳田邦男・立花隆・筒井康隆・森毅など河合隼雄さんを慕う・尊敬する面々が集まって楽しい時間を私も過ごした。日本の昔話が世界中で同系のお話がある。世界のお話が日本昔話にあるといってもいい。意識の底の底にあるものは民族を超えて共通だというのがユングの立場でわかりやすい。

ともかく表題の「思想の真の歴史は、学術書の中でなくて、一人ひとりの生きた精神組織の中にある」。これを敷衍すると、個人史からいえば、近年の話題で清原選手が「あのときのドラフトで桑田が早稲田へ進学すれば、俺は王さんからサインボールをもらい巨人入団が決まっていて、西武へ行くことはなかった。薬にはまることもなかった」(これも断定はできないが)ともいえる。

さらに、アフガニスタン空爆やイラク空爆でたくさんの市民が米英の戦闘機の爆撃で虐殺されて、その子供たちが西欧の文化やキリスト教へ復讐しているのかもしれないとも思えてくるときがある。被害者は加害者以上に残忍になるときがあるのである。同時に加害者は健忘症でもある。

国の歴史を考えても、幕末に日本はアメリカから開国を迫られていやいや開国した。その同じ手口を今度は日本は朝鮮へ1910年行って合併し、言語まで日本語を強制。それが今日の排日感情の背景にある。欧米への脅威から、日本も天皇を中心にして疑似一神教の体制を敷いて、真似をしたのである。自分よりその時点で弱い人(国)に対して。

フロイト学者岸田秀は「一神教は被害者意識の強い宗教」「復讐を繰り返す宗教」「世界史の中での特異なローカル現象」「嫉み深い宗教」「ヨーロッパもローマ帝国がキリスト教を国教にしなければもともとアルプスの向こうは多神教であったから、嫌々ながらクリスチャンにされた。感情の深い所にその恨みが流れていて、その後のヨーロッパの生き方を決めた。ユダヤ人差別も強いローマヘ反抗できず、弱いユダヤへ向かっていったのでは?」と。自分より強いものへは向かわず、より弱い生け贄を求めて人間集団は動いていったと見る。

さらに「アメリカはヨーロッパーで虐められ(食べれなくなる極貧)で渡ってきたので、今度はさらに弱いインディアンを虐殺して土地と資源の泥棒していった」「アメリカが世界の警察として出しゃばる癖は(世界中の軍事費を足してもアメリカ一国の軍事費に満たない)、とにかく自分たちの価値観を押し付ける源泉は、国の成り立ち(イギリスに立ち向かう・独立を勝ち取るためにまとまる標語を欲する)にあり、付和雷同しやすい気質(付和雷同しないと強いイギリスへ勝てない)にもあるだろうと思う」。

だからモンロー主義(孤立主義・地域でまとまる)と拡張主義は矛盾しない。小さく圧縮してまとまると、拡大も早いし、攻撃性も強いのである。下手したら際限がない。

ひとりの人の精神組織の中に、たくさんの人、育てた親の価値観や教師のイデオロギーや影響を受けた人の言葉や行動が染み込んでいる。そこには階層や文化や民族や歴史も含まれる。日々、私たちは無意識にせよ、その価値観に左右されて自分の物語を創りながら生きている。

  1. 国とは不思議なものですね。なぜ世界は国単位で別れているのでしょうね。本来の理想は、世界は一つ。人類皆兄弟姉妹。なのに国が違えば言語もそれぞれ違い、考え方も違うのは何故?。人類の起源から見れば集落が巨大化して国になったのか?それとも集落同士がくっついて国を形成したのかは不明にしても、国を守るうえでは意思統一を図る必要性から宗教が導入されたのでしょうね。さらには団結の為には多宗教より一つの宗教に集約したのではないでしょうか。人間の主導者も必要でしょうが、その上に神と言う存在を示す事で意思統一を図ったのでしょうね。日本の軍国時代も旗印のもとに戦ったように、各国でシンボライズされた国旗を掲げて国内の意思統一を図ったのでしょう。不思議なのは多民族国家のはずのアメリカが星条旗の元では国民意識が高い事ですね。星条旗の元では国の為に戦う団結力は不思議でも有り、また感心もしますね。

    • 国ができる前は領主とか古老とか、祈りの得意なシャーマンがまとめていたと思います。釈迦もどこかの王子でしたから、そのころも王国はあったんでしょうね。イタリアの向こう(アルプス以北)は、多信神で、アイヌの人たちに似て山川草木に神が宿るを信じていました。ローマ帝国がある時期から、キリスト教を利用して帝国のh領域を拡大しました。信仰しない人は殺していました。そうやって脅すので仕方なく信者になったのですね。結局、キリスト教を利用して政治や権力を保持する習慣がローマ帝国で確立されて、領主・王様・教会の闘争がヨーロッパで始まったのですが、考えると領民(働き税を納める人)の労働に権力の基盤(軍隊と官僚を食わせる)が支えられていて、それをさらに充実させるためにほかの土地へ侵略し、繰り返してきたわけです。アメリカは移民国家で州が強い権限を持ってるので、全体をまとめるために国旗と国歌と福音書を外に向かって叫ぶ必要があるわけです。アメリカはNO1の国だと知らしめるメディアや教育もあります。だから自分の1位の地位を脅かすもの(国)を叩く癖があります。田中角栄が日中国交回復をアメリカに相談せずしたことにキッッシンジャーは激怒、勝手な真似をしてと怒り、仕返しにされたのが「ロッキード事件」でコーチャンの億円受け渡し事件です。自主外交を1945年以降、できないように催眠をかけられている国になりました。いまも続いています。

  2. 話は反れますが、日本むかしばなし(TV版)と言えば、かつて私が勤めていた会社の役員でプロデューサの衛藤氏が担当でした。監修は河内康範氏でしたからそれは大変でした。当時の我が社は面白い会社でアニメのTV化の先駆者でした。手塚治虫氏を口説き落として鉄腕アトムをTVアニメ化したり、戦隊ものをTV化したりクイズ番組の企画などいろいろでした。スマイルマークも幸福の木シリーズも日清食品のカップ麺のパッケージやロゴも当時では何でも先を行っていましたが、全て社員のだれかの個人技(アイデァ)の結果でした。中国にTVアニメも輸出していました。ただ、PCの導入やネットの台頭で世界が大きく変わりました。資本力が物を言う時代には如何に優れた個人技と言えど余り通用しなくなり、組織力や政治力が幅を利かせ始め、創業109年の老舗の時代は終わりました。国の政治もそうですが、個人ではなく組織力で同じ方向を目指す手法が主流です。そこには個人の意思や思想は必要視されず、誰かをリーダーに祭り上げ意思統一を図り同じセリフ(スローガン)を掲げ右向け右!の世界です。もしかして既に危険な時代に突入してしまっているのかも知れませんね。太古には意思統一の為に宗教を利用したかも知れませんが、現代では新興宗教に利用されていますね。

    • 一番危ういのは、同じ誤報を喋りだす人々の出現です。タイパとかコスパとか、グローバルとか多くはカタカナ文字を多用する人々がネットに溢れています。他人にものを教える層が汚染されていると思います。自分のことを棚に上げて話し出すんですから。芸能人や政治家や評論家、教師など。最初に勤めた大阪の広告代理店は個性あふれた自由空間で、現代でも復活できる要素はありますよ。ユーチューブは個性に溢れていますよ。ちょっとしたことに気づく社会でもありますから、勇気をもって前に進みたいものです。小澤征爾や坂本龍一さんのことを考えて書いています。音楽には詳しくないですが、死ぬまで現実を変えようとした志には胸が打たれますね。日本社会に生きるお手本はたくさんいます。緒方貞子さん、政治家宇都宮徳馬。石橋湛山など。土光敏夫さんなど経済界にもたくさんいます。ユングの言うように、個々の人間の生きた精神組織の中にあったわけですね。この営みは死ぬまで続きますね。

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