雪だるま

これから春に向かうというのに、スキーの話だ。沖縄で泳げない人がいると聞いて、北海道でもスキーとスケートができない・しない人が多いんだよという話です。私もその一人。サッカーや野球や卓球・バレーボール、マット運動もする、鉄棒で逆上がりもする。なのにスキーとスケートはからっきしダメときてる。

雪が降れば、雪合戦もするし、かまくらづくりや雪だるまもつくるのに。どうして嫌いになってしまったのか。小学校は全校生徒が3000人を超す札幌一のマンモス小学校だった。スキーも遠足で楽しかった、好き勝手に転んで滑ってオニギリ食べていたが、中学からスキーも学習になった。当時のスキーは自分の背丈より相当長いスキーで、思うように曲がれない。中学から偏差値(SS)も導入されて、スキーもシビアな評価が始まった。

20メートルくらいの坂を曲がり曲がり降りてきて、下に成績簿を持った体育の教師が待っている。スキーの技術や滑る形に点数をつける。「はい、次、滑って」。滑る手本を見せられ、1~2回の練習の後にテストだ。冷たくなったおにぎりを食べる以外、これといった楽しさはない。追い打ちをかけるように、ある日、大きなスキー場で度胸試しに頂上から直滑降をした。スピードを落とすために斜め走行したり、ストップしながら滑る技術もなく、山小屋に追突。大けがをするところであった。

さらに、初めてリフトに乗った時も、降りるときに自分のスキーを上げることを忘れて、前の座席の下に入り込んで転倒。骨を折るところであった。バカ丸出しのスキー。もう、こんなスポーツはしないぞと心に決めた。つまらないスポーツを人間は考え出すものだとスキーを考えた人間を呪ったが、イメージだけでスキーをかっこよく滑ろうという自分の見栄と無知がなせる業。

「リフトで最後は足を上げてください」とアナウンスあればとも思うが、スキーに関しては、自宅前の小さな山を作ってジャンプをしたり、竹スキーをして道路で滑っていたことを除いて、いい思い出はない。山スキー大好きな妻が「あなたと結婚して一度もスキーに行ってないわね」「そうだね、苦手だから」で44年。「できない」が60年以上続いている。スケートもできないし、水泳もダメときてる。季節スポーツサヨナラだ。

本州からの若い転勤族が「ニセコへ行ってきたよ」「富良野へ」「中山峠へ」と聞いても「あっ、そう」と冷たい。不思議と中学時代の同級生にはスキーをしない(できない友人が多い)のには、当時スキーはお金がかかるスポーツというがあったかもしれない。北海道出身者でスキーをしない人が多いのは体育の授業で遊ばない、学習のためのスキーを先に習い嫌いになるか、両親の冬嫌いから(冬の暮らしの厳しさ・大変さ)スキーへ連れていってくれなかった世代なのだろうと推測する。〇〇出身だから〇〇だと必ずしも言えないことの方が多い。ひとりひとり丁寧に接したいものである。

  1. 貧乏我が家では父が5~6cm幅×7~80cmの長さの板状にした孟宗竹の先端を重曹で曲げたものを片方分で2本を足を載せる部分の板に固定して先端もジョイントして手作りスキーを作ってくれました。それはワックスなど必要なく滑り過ぎる手製スキーで竹板の撓りも有って、どんなギャップも平気でした。しかし小学校も高学年になると周りの皆がヒッコリー板の本格的?なスキー板を買ってもらい楽しそうに滑る姿を羨ましく思って我慢したものです。ところが?そんな或る日、父がスキーを買って?来たのです。その時は予想外のサプライズに大変驚きましたが、早速スキーを履いて早朝から近くの山に滑りに行きました。中学までは長靴スキーで十分でしたが、高校に行くと、クラスにも国体選手が居ましたし、積雪寒冷地で度々全校スキー学習があり、そこで初めてあてがわれたスキーはカンダ―ハ―の本格的なものでしたから、踵が上がらないスキーは初めての経験でいきなりつんのめって転んでばかりでした。スキーは嫌いでは無かったので直ぐに慣れて楽しくなり、スキー場も近かったので度々行きました。その内に本格的な道具欲しさに早朝新聞配達のアルバイトをして国体選手の先輩からフランス製の靴とオーストリア製のスキーのお下がりのセットを4万円で買いました。ラングリーメンと言う長い革ひもで靴を固定する本格的でしかも危険な金具でした。当時は科学の時間が大っ嫌いだったので、予めスキーを学校の玄関に隠しておいて出欠の代返をクラスメイトに頼んで抜け出し、スキーを肩に担ぎ片手運転の自転車でスキー場までの坂道を30分程漕いで行きました。(春先バスの道路には雪が無かったので)しかしスキー場に着くと、何と日体大出の若い体育の教師のホンダのベンリーが停めてあり「見つかったらヤバイな!」とバイクを見ると何と家庭科のハデ派手女教師の恋文がミラーに結んであったのでこっそり拝見。「よしっ!これで弱みをつかんだぞ!」と勇んでゲレンデに向かうと、体育の教師と鉢合わせ。「どうした?授業は?」の問いに「先生!バイクに何やら手紙が結んでありましたよ!」とかわしました。そんな事も有ったりして、スキーは楽しかったです。或る日にはスキー場でクラスメイトの女子の国体選手たちのバッタリ会い、一緒に滑ろうと言うのでついて行ったのですが、それが超急斜面で谷に向かって滑り降りた勢いで向かいの山に登りきるほどのスピードで途中で重力が無くなり死ぬかと思いましたが、顔には出さず『あ~楽しかった!』と嘯いたものです。

    • スキーの思い出多いですね。竹スキーはとにかく滑りますね。長くつ履いて小さな山はジャンプもできますが、竹スキーが飛んでいってしまいました。昔の少年さんのスキー体験、本格的ですね。お父さんがスキーを買ってくる、身近に本格的ニスキーをする人がいてお下がりももらうとか、授業さぼってスキー場へ行き、大人の恋のシーンを見るとかませていますね。私にとってのトラウマどころか貴重な思い出ぼろぼろですね。野生少年ケーンみたいないい暮らし(情操はぐくむ)をしていて、それが現在の昔の少年さんの人間性の基本にあるのでしょうね。お金では買えない財産です。そういう財産は炭焼きつくりや川の中で魚をとったり、山の実を食べたり、私から見たらうらやましい自然との暮らしです。生かされるときがくるかもしれません。

  2. スキーでの苦い経験もありますよ。スキーも慣れてくると、つい生意気になってスキーウエアなど着ないで、ジーンズにセーター一枚でレーバンのサングラスと言う、散歩スタイルのいでたちで颯爽と滑っていたのですが、同じ急斜面をいきなり横切った中学生と接触。彼のスチールのポールが一本折れて私の目の近くでぶつかってサングラスのガラスが割れて手で触ると出血していました。兎に角彼に謝って、住所と名前を聞き、早速スポーツ店に行って、当時で3000円超のポールを買い彼の家に謝りに行きました高校生の3000円は痛かったですが、大したケガもさせずに済んで良かったです。自分は眉の下にキズが残りました。当時のレーバンは未だプラスチックレンズが無かったのです。もう一度は北海道で買ったアトミックのスキーで初めて手稲のオリンピック女子大回転コースに行った時です。ゴンドラで頂上に着きスキーを履いて滑るのですが、余りにも緩斜面でつまらなく「これで?オリンピックコース?」と、ついスケーティングで勢いをつけスピードに乗った途端に目の前のスロープが無くなり空中に放り出されました。何とそこは斜度27度の壁だったのです。着地と同時にコースを外れ何かにぶつかってようやく止まりました。初めての北海道での急斜面での恐怖でした。また友人のキャメラマンと春スキーを楽しんでいると、これもいきなり斜面を初心者が横切り、咄嗟に避けた途端に片方のスキーの先端が暖気で柔らかくなった雪に刺さり、足首に全体重が掛かってズン!と痛みが走りました。その場は我慢してまたリフトの繰り返しで何度か滑りましたが、帰りにクルマに戻ってスキー靴を脱ぐと途端に腫れあがりブーツをはくのがやっとの想いで帰り、引っ越し作業をすっぽかして行ったスキーでしたから、捻挫が治るまで痛みを隠していました。それ以来左足をかばって滑りも臆病になり徐々にスキーから遠のいて行きましたね。それ以来、山に行かなくなりました。クロスカントリーも初めて白幡山の15キロコースに挑んで完走しましたが辛かったですね。終わってセーターを雑巾のように絞ると汗が驚くほど出ました。帰って計ると2kg体重が減りました。あれは重労働です。スケートは高校の夏休みに東京は後楽園で初めて経験しましたが楽しくて帰ってからスキー部の夏場の練習に混じって遊びでローラースケートをやりました。でもコンクリート路面で溝をジャンプして飛び越えようとして失敗し腰から落ちて溝の角で打って「ウ~っ!!」と唸って暫くは動けませんでした。そんな経験もありましたが、ホッケーのスケートシューズを買い数回リンクに行きました。違和感なく滑れました。あのスケート靴も何時か捨てて今では冬のスポーツは除雪だけですね。

    • すごい体験話ですね。信じられません。道産子の私が体験していい内容の話ばっかりです。私は手稲山のゲレンデで下手なのに、直滑行でゲレンデ小屋の壁に衝突して止まったことくらいです。スピードを緩める術がなかったんです。さらにいまは除雪も嫌々で、冬は北海道から離れたいくらいですね。

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