おかげさまで、きょうでブログ400本になりました。
久しぶりに加島祥造さんの自由訳「老子」から第50章「命を大切にする人は」。
人は生まれて、生き、
死んで、去ってゆく。
三十の年までは柔らかで若くて
生命(いのち)の仲間だといえる。
六十をすぎてからの三十年は
こわばって老いて
死に近づいてゆく。このふたつの三十の間の
壮年期の三十年は、まあ
しきりに動きまわって、どんどん
固いものに近づいてゆく期間だよ。
どうしてこんなサイクルになるかって?
それはね、ひとが
生きるための競争に
こだわりすぎるからだよ。
聞いたことがあるーーーー
生と死は同じサイクルのなかにある、
それを知って、
命をそっと大事にする人は
旅をしてもけっして
猛獣のいるところへは行かない。
軍隊に入れられても
武器を取る役には廻らない。
だからその人生では
虎の爪や犀のツメに出くわさないし
兇暴な人物の刃にかからない。
それというのも
生をとても大事にしているからなんだ。
自分の命を大切にしている限り
死はつけいるすきがないんだ。


96歳で亡くなった父との最後の会話は『あそこの窓から飛び降りたいんだけど悲しい事にあの窓際迄行けないんだよ』でした。独り暮らしを近所の人達の『火事でも出されたら困る』との事でやむなく老健施設に入院。その直後から身体を動かす事も無くベッドに寝たきりになったのが自力で立ち上がるための筋肉さえも衰えたのでしょう。年齢に見合わない位、あれほど元気だった父が入院で別人になりました。人生山あり谷あり、東京で大震災も空襲も経験し、生まれ故郷の田舎に移住して体を動かす農作業や林業など辛い力仕事が自然と丈夫な体力を維持する事ができたのでしょう。戦争にも行かず母の兄弟の嫁ぎ先の軍需工場で働き戦地は免れ家族を守りました。しかし、長男は時代の波に呑まれたか霞ケ浦へ航空隊志願で予科練に。幸いにも終戦に命を救われたものの戦争が長引いていれば確実に特攻で戦死していたでしょう。今思うに父は幾ら戦争と言えど自分の手で人殺しなど出来なかったのでしょう。当時は出征が当然の世の中で皆が当然の様に戦地に向かった時代ですから、後ろめたい気持ちもあったのではないかと推測します。また当時としては違った勇気が必要だったのではないかと思いますね。そんな気持ちが今になって判る気がしますね。
筋肉が男の生きるチカラですね。図書館ボランティアを6月までしていてつくづく思いました。80才を過ぎても本の入ったダンボールを軽々と持ち上げる人がいるんですから。自分が非力だわと思いました。お父さんが、窓際まで歩けなくなった情けなさも身に染みる話です。入院しても1週間ベッドにいれば筋肉どんどん低下します。私も庭で草取りをしてかがむと転倒することがあります。足を支える筋肉と尻の筋肉が落ちているのです。大震災や空襲や長男のラッキーさもあって、時代と政治に翻弄された人生でしたね。人生は時代に規定されています。派遣社員で生活を苦しんでいる人、學校不登校で苦しんでいる30万人の子供、家庭でDヴゃ引きこもりで両親を強打、ときに殺人をしている40代や50代。命を大切にできるのは、まずは自分を大事にして生き延びる工夫をしなければなりません。お金ではなくて、なにかその人が持っている「運」みたいなものでしょう。生死はよくわかりません。