現代の父親像と子供に何を残せるか。
知人とお茶を飲みながら、ブログのテーマが決まったようなものである。若い人から見て生き方のモデルがいなくなってしまったのではないかという筆者の問いかけに対して、そのテーマでブログを書いてみたらということであった。スポーツ選手なら憧れの●●選手、芸能人もモデルは見つけやすい。
しかし市井の大多数の日常生活を送る人たちが、自身の職場や周りにお手本になる人がいるだろうか?別にそんな人を敢えてモデルとして探す必要もないとはいえ、そこそこいい仕事をしてきた人に聞くとそれぞれの限定的な世界でもお手本は見つかるのではないかということだが、ことはそう簡単ではない。
偶然、『ニューズ・ウィーク』の(ポピュリズム大研究)の特集を読んでいると『欧州ポピュリズムの歴史的考察』という記事があった。『イギリスでは国民の約3分の2が、子供たちは今よりいい暮らしが送れないと考えている』『フランス、イタリア、ドイツはさらにさらに悲観的だ。社会の進歩を示す最も基本的な尺度は、人々が将来に自信を持てるかどうか。特に子供たちは今よりいい生活ができると信じられるか?』『1948年から1973年まで人類史上最も目覚しい経済成長が実現した時期だった。この期間、西欧・北米・日本の先進工業国は繁栄を謳歌していた。子供たちの世代はもっと繁栄を謳歌できるようになると信じられていた。』(歴史家・マークレビンソン)。
これらの文章を読むにつけ、本題の『現代の父親像と子供に何を残せるか』というヒントがあるように思えたのである。子供にとって父親は外の社会の価値観の縮図である。帰宅した父親の機嫌の悪さ、陽気さや夫婦の仲良し・不仲など、子供がこれから出て行く社会を擬似的に、間接的に子供に伝える。子供は幼くても両親のケンカを一番嫌い、敏感に反応して後々の人格形成に大きな影響を与える。結婚をしたがらない独身者が多い背景に、彼らが育った家庭に夫婦の仲が悪い環境が影響しているかもしれない。不況で夫が失業したり、生活が苦しくなり、転職で妻たちも共稼ぎが当たり前になると育児は保育園に丸投げして稼がないといけない。たっぷり親からもらわないといけない愛情の絶対量が減って育ってしまう。
筆者には、若い世代が親世代に無意識に言葉は悪いけど『復讐』をしているように思えるときがある。スタバや居酒屋で何組かの若い世代同士の会話を聞いていたり、『年金世代をはっきり言って支えたくない。なんで少数の子供がたくさんの老人を支えなくてはいけないのか』『彼ら老人のために年金の積み立てをするのが馬鹿馬鹿しい』とまで断言する。
ある新聞社で組合総会があって、定年を65歳に引き上げる案が出てきた。若手社員が猛反対をした話を聴いてさもありなんと思った。60歳で定年して高い給与を確保されて、さらにその水準を多少下がるにしろ、ボーナスも保証された65歳までそこにいられるのは耐えられないのだ。定年後のOBの人たちへ企業年金支払いに何十億円のお金を注ぎ込んでいている。
昼飯時、観察していると、世代を超えて楽しくランチタイムを過ごしている人は少ない。世代で固まっている風景が多い。私たちが子供に残せるのは、若い世代が生きやすい制度や年齢を超えた信頼関係つくりを日常で実践するしかない。不信から軽蔑や無視が発生するし、『あなたを信用してますよ』『絶対、あなたがここにいなくてはならない存在だと」言動で示すこと。若い人を見ていて、それだけは通じる気がするのだ。父親が企業の先輩たちが、率先してまずはあなたを信用しますという態度・言動を示す、古びた言葉だが愛情を示せれば、改善されると思うのだが。家族や地域社会の人間関係を自分を含めて足元から見直したい。
坊主の孫。
退職金にせよ、年金にせよ、自分が掛けた分を貰う権利は当然有る訳ですが、何故か?今や若い人に負担を掛けると言う事になって居ますね。つまり何でも先付で運用などと無駄な使い方をして積み立て金をなし崩ししてしまった結末が現状でしょうね。投資ばやりですが、先行投資で株で大損をしたり、元金を更に増やすとの前提での大袈裟な設備投資で、結果は事業不振で初めて大失態に気づく親方日の丸的な体質が現状を物語っていますね。国が介入すると組織を大袈裟にするが為に人件費や設備費が膨れ上がり、その補填の為に先食いして組織の維持費確保に必死になる訳ですね。そんな事より、預かったお金は必要以上に出来るだけ使わない方法を考えるべきですね。下手な運用を考える位なら「金」に代えて貰った方が安全ですね。そして更に組織運営費をスリム化すれば年金給付も将来にわたって実現可能だと思いますし、極端に言えば、利息分だけで運営できるくらいにすれば、後々加入する若者たちも、自分の為の将来の老後預金感覚を持つのでは無いでしょうか。
seto
私の世代の年金は親たちの世代へ支払う年金で使われていました。それでも有り余る年金で、当時の社会保険庁は全国にリゾート施設をつくり(温泉含めて)天下り先を増やして食い物にしたわけです。そして赤字を垂れ場がして、全国の施設をバナナのたたき売りをしてまた赤字を増やし、館長たちは退職金をたんまり持ち逃げしたわけです。社団法人や財団法人も実はクソどうでもいい仕事が多いと思いますね。民間で営業職を40年してきた私からみたら、そう見えます。NPO法人もこんなの要らない法人も多い。初めから株式会社でいいではないかと思いますね。曖昧な組織ばっかりつくって補助金ねらいなら、もうやめたほうがいいです。子どもたちからみたら、もっとはっきりした組織や仕事の内容を残すべきではないでしょうか?職人とか手でものをつくる仕事や背中を見せることですね。頭でっかちにしゃべらなくても、こつこつつくる姿を見せるのが一番だろうと思います。
昔の少年。
身の廻りに、嫌、親族関係だけでも、離婚は非常に多いですね。生涯にわたって添い遂げる夫婦など珍しい位です。それで離婚はいけない事だとも断言はできませんが、それぞれに事情が有ってそうなる訳ですから、これだけは仕方がありませんね。子供達には嫌な思いをさせたり、精神的負担を掛けたりと、多かれ少なかれ決して良い結果にはならないと思いますが、結婚は皆同じではないですし、個人対個人の性格が違うが故にどちらかが譲り合いながら暮らす事でもありますね。お互いを理解できればいいのですが、自分を殺してまで生きる事が出来なければ当然ながら離婚に繋がりますね。私も、中学生時代に長男(兄)の離婚劇を見て来ました。一時、子供達を我が家に引き取り、田舎の小学校に転入させて兄弟のように暮らしたことがありました。その後母親に引き取られた後にも、可哀そうで慰めに会いに行ったものです。しかし、子供達二人は母親の手で立派に育てられ、長男は京大に進学し、大阪で教師をして、今では、母親に恩返しをしているようです。両親の離婚でグレる子供たちもたくさん居ますが、両親のどちらかの姿を鏡にして生きる子供もいる訳ですから、例え離婚しても、親には子供を育てる責任が有り、親の愛情やその姿次第で子供たちも変わるのでしょうね。
seto
DVやアル中なら別れたほうがいい夫婦があります。母の姉は結婚した夫のDVで離婚しました。農機具の鎌を持って「死んでしまえ」と脅かされたとも言います。3人の子供のうち二人を引き取りました。長男は競馬が好きで「そんなに好きなら」ということで道営競馬会に馬を登録、走らせましたが赤字。次はシイイタケ栽培を始めましたが、これも失敗。51歳で心臓病で急死。母を虐めた父親に対して今度は父へ「死んでしまえ」と言ってました。凶暴な家族でした。穏やかな家族は宝物のように思えますね。子どもに伝える大事なことです。離婚が多く、残された子供たちの育ちはいろいろですが、いまは事件や事故で亡くなるケースも多いので、災害で亡くなることもありますから子供たちへは目いっぱいの支援をお願いしたいですね。
アドマン。
人生のお手本ですか?。それは一人ではなく、大勢の人からですね。あの方にはアレを。この方にはコレをと、見習うべき事は沢山ありました。しかし、その反対に、あの人のアレだけは?この人のコレだけは?決して真似したくない。なんて事も有りましたね。良いお手本と悪いお手本は隣りあわせで、身近に沢山有りましたね。それが何気ない所作だったり、言葉だったり、外見だったり、様々ですね。
seto
私の手本はやはり父親と母親でしょうか。父からは「保証人には絶対なるな、株はするな」母親からは「他人が羨ましく思えるものを持つな。嫉妬社会だからね」です。それと「ススキノへは行くな。あそこには魔物が住んでいる」とも。下戸なのでススキノには縁がありませんでしたが。私の兄も妹も私も派手なものは持たない(もてない)のは、幼いときから躾けられた地味に生きる癖、物を欲しがらない、欲しくても安いもので済ませる習慣がありますね。それより父親は教育へ(転勤を拒否して札幌で子供たちの教育を優先しました)。私にも似たところありますね。財産は教育しかありません。子どもに残したことです。
息子と殴り合った父親。
子供が高校生の頃、グレ掛かった時がありました。友人の400ccバイクを無免許で、それもノーへルで飛ばして、警官に連れられて帰って来たり、バンドのライブの為に髪を金髪にして校長室に呼び出されて私も一緒に出頭させられたり、母親に椅子を投げつけるなどの暴力を振るったりもしました。そんな或る日、そんな行為を諭した私と口論になり喧嘩になりました。当時の息子は多少なりとも柔道も嗜んでいましたが、自信が有ったのか、いきなり殴りかかって来ました。それに応酬する形で格闘になりました。勿論二人とも手加減せず本気モードでした。息子のパンチが私のアゴ辺りに入りクラっ!と来ました。そこで初めて、息子も成長した事を実感しました。喧嘩はその内に鎮静化して二人とも大きなけがもなくコブが出来た程度で済みました。息子もまさか親爺が本気で殴り合って来るとは思って居なかったのか戦意も無くなったのでしょう。現代っ子は親に叱られたり、しかも殴られたりなどされた経験が無いようですから、反攻期に手が負えなくなる場合も多いようです。今になって思うと、鉄拳制裁やスパルタでは無いですが、あれがきっかけで母親への暴力は無くなりましたし、精神的にも安定したのでした。もちろん当時の私も、背丈も大きくなった息子に殴り倒されるかも知れないと、不安さえ感じていましたよ。(笑)それ以降は私にも母親にもタメ口なども利かなくなりました。
seto
父親と息子がケンカ、それも殴り合いは私には別世界の出来事に思えますね。カッtなることはありますが逃げますね。諦める方ですね、お互い。私自身、父親とのケンカも未体験で、たぶんどうしていいいかわからない心境になってしまいます。洋は血が薄いというか闘争心が微量なんだと思います。体育会系とは縁遠い父と息子です、娘も運動嫌いです。父親に似ています。