脳梗塞の妻を介護する夫が脳梗塞で倒れて。

余り近所付き合いのない夫婦ではあった。月曜日、夜中の3時に救急車が来て、しばらく止まっていた。そして赤ランプを点灯させストレッチャーに乗せて病院へ誰かを運んでいった。何年も前から脳梗塞で倒れた妻をリハビリの送り迎えをする旦那を目撃はしていた。夜は夜警の仕事に車で出ていく。本当に昼も夜も寡黙に働く72歳の旦那であった。

ある日、仕事を辞めて奥さんの介護に専念していた矢先の救急車。隣の奥さんがサイレンに起きて、一部始終を観察して教えてくれたところでは、旦那さんが救急車で運ばれ、それも2回目の脳梗塞であったと教えてくれた。娘さんが本州に嫁いでいるから帰ってきているとは思うけれど他人ごとではない。同時に倒れたらどうするという問題だ。奥さんもようやく手すりに捉まりながら歩けるまでに回復して、『良かった!元気になって!』と思っていた矢先の出来事であった。しかも奥さんが脳梗塞で倒れる前に、一度,ご主人が脳梗塞を発症していたという話で、そのときは軽くて、車の運転(これに乗って職場に通っていたのである)には支障がなかったのか?傍目には、健康そのもの頑固そのものという感じであった。

団地内の高齢化とともに、スーパーで買い物をしても届けてもらうサービス利用者も増えている。おじいちゃんの一人買い物姿も多い。すぐに食べられる食品を買っているのは殆ど男のひとり暮らしだ。いずれ自分もああいう姿になるだろう、やはり妻より先に棺桶に入る方がいいなあと思う瞬間であるが、こればっかりはどうなるやら。日々是好日で生きるようにしたいものである。

子供も少なく、特に一人っ子同士の結婚なら親が健在なら4人の両親を抱えることになるから大変で、同じように倒れたら介護する人が誰かに頼まないと生きていけない。そこに金銭で解決するだけの資産が残されているといいけれど、生活保護世帯は65歳以上が圧倒的に多い現実を考えると子供へのお金と体の負担軽減をどうするか。親の兄弟同士の連携も視野に考えると老々介護や病人が病人を看る時代が来ている。

だれにも迷惑をかけない人生は始めからないわけで、その辺を基本的な認識として、迷惑をかける、面倒を見てもらう、面倒を見る、『お互い様』の心持で地域で生きていければ生きやすいが、『知られること』『同情を受けること』に過敏に拒否反応を持つ世代が、急に増えてきている気もする。私自身、50歳で心筋梗塞で入院したときは、見舞客の対応でクタクタになってしまった記憶がある。男の場合、プライドが邪魔をするからよけいに面倒だ。

 
  1. 自分自身も高齢になって初めて意識し始めた先行き不安ですが、未だ、息子の同居や、別居と言っても近くに娘もいて家族のつながりは有る方ですが、知人の場合は市内に兄弟は居るものの皆んな高齢で親しく付き合いも無く借家で独居ですから心配ですね。部屋も荷物と衣類と不用品?だらけで、早く整理や廃棄を忠告しても聞き入れません。僅かに歩く隙間があるだけの2LDK。それも階段を上り下りする3階ですから大変です。片づけられない性格の人は全てに理由があります。3階から空いている1階に引っ越したら?の問いには、この眺望が気に入っているからと。衣類や調度品を廃棄したら?の問いには、これは高かったんだとか、出かける時に困るからと。装飾品については想い出の品だからとか。全てに捨てられない理由が存在していて、しかも更にネットで未だ買い足しているのです。それでも、くどい位に廃棄を促したせいか?つい先日、狭い空間に6脚もあった椅子の一つを200円の大型引き取りゴミシールを張って市に引き取って貰ったようですが、ボロボロになっても愛着があるのか?惜しいみたいです。これまで入院もせず、いつまでも生きて居られると勘違いするのは健康な証拠かも知れませんが、或る時期で見切りをつけるのも大切な事でしょうね。

    • 捨てる捨てないはむつかしいです。個人の趣向と思い出の塊ですから。私も机の上は紙で乱雑。祭日、会社の休みの日に妻と子供を連れて、勤める会社へ連れて行ったことがあります。「さあて、パパの机はどれだろう?」と質問したら、見事に子どもたちに当てられました。「だって一番、汚い机だから」。整理整頓と無縁の私でした。そういう私も身辺整理を急ピッチで進めています。思い切らないとできないですね。気持ちと体力が十分でないとね。庭の芝狩りに似ています。エイヤッとしないと。

  2. 我が家では、私が老々介護の練習中です。最近、妻はしょっちゅう具合が悪いと言っていますから、本人には言いませんが、出来るだけ私が家事を進んで引き受けて居ます。が・・・?妻にして見れば、私がやる事なす事すべてが気に入らないらしく『私ならこうする』の連発です。認知症の介護でもありませんが、出来るだけ逆らわず我慢して言う事を聞く事にして居ますが、女性は男性に比べて神経質でクドイ面があり、おおざっぱな男には理解しがたいところがあります。しかし介護の練習ですから、ここで腹を立てて喧嘩してしまってはお終いだと、先ずは精神面の修行からですね。

    • 私が米を研ぐと白米をこぼすことがあって、一粒も無駄にしてはいけないと注意されます。掃除も四つ角を丁寧にしていないと言われます。芝刈りも草を燃えるごみの袋に入れるまでしないと仕事をしたことになりません。広告の仕事なら、企画つくdり、スポンサー探しと飛び込み営業→製作&校正→広告掲載(TVCM)納品。そして集金まで。一連の流れで仕事完結ですが、介護は完結がありませんね。介護者が亡くなるまで続きます。

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